福原直樹『黒いスイス』を読む

海外における日本のイメージ「フジヤマ、ゲイシャ」も使いようです。今はもっとアニメや漫画だろうと思うでしょうが、その船底には、相変わらず「フジヤマ、ゲイシャ」が眠っています。要するに、日本に興味をもつ契機がないよりはましです。フジヤマは自分が思っていたイメージが表面的であることをいつの日か自覚するきっかけではあります。ですから、日本人がスイスに抱く綺麗なイメージー雪を被ったマッターホルンや街並みの清潔さーも、それ自身、何も批判することはないでしょう。およそ、外国に関する知識を限定的で、限定的であればあるほど場合によっては理想度が高まります。そういう意味で、この『黒いスイス』は、実に日本的な本です。日本人がスイスに思うレベルを設定し、それを一つ一つ「そうじゃないんだよ」と、崩していくことを試みているわけですから。

2-3年前、日本からのお客さんとミラノの街で会いました。バールでビールを飲んでいると、「いや、イタリアの街って結構すけてて、汚いですね。きっちりしていないし。ヨーロッパの街のイメージって、どうしてもドイツとかスイスのような風景を想像してしまい、街並みもああいう風なシンメトリーさに欠けると、どうも好きになれない」と語ります。かっちりとした都市構造と清潔感を期待するなら、それはイタリアには少ないでしょうーローマにもトリノにも、そしてミラノにもパースペクティブのあるシンメトリーの風景は当然ありますがー。が、幸いながら、このエピソードは日本で育まれてきたヨーロッパという価値が何なのかをよく物語ってくれます。いわば「堅いヨーロッパ」です。

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その堅さのなかにスイスもあります。実は視覚的に見える風景ではなく、それは社会的な考え方でもそうであった実例として、優生学の普及が戦後かなりの長い間残っていたことは記憶にとどめるべきでしょう。ロマなどの誘拐が1920年代から1970年代にかけ、スイスでは1000人以上のロマが「人種的に劣る」という理由で組織的に誘拐されたと言われます。優生学は19世紀後半から流行した考え方で、知的障害者や「劣勢人種」の排除の論理として使われ、これが歴史的災難を招いた代表例がナチスドイツによるユダヤ人の虐殺です。少々長いですが引用します。

オスロ大学・ロールハンセン教授の推計では「知的障害」「反社会的」などの理由で、1930年ごろから60年まで不妊手術を強制されたのは、スウェーデン1万7500人、デンマーク1万1000人、ノルウェー7000人、フィンランド4300人。また、ナチス政権成立(1933年)直後に「断種法」を導入したナチスドイツでは、37年までに約20万人がその対象になった。一方、米国では31年までに1万2000人、スイスでも数百人が手術を受けたという。

優生学思想の影響を受け、スウェーデンは22年に「国立人種生物学研究所」を設立、10万人以上の国民の顔を測定して「理想のスウェーデン人」の骨格を特定してもいる。この「研究所」では、北方に住むウラル系住民の研究を行い、「種の混合」を防ごうとする一方、「ミスター・ノルディック(北欧)」に輝いた男性のヌード写真を掲載した論文も発表された。研究所ではナチスの理論家が講演した、ともいう。

「我々は、犬や猫の血統にこだわる。それと同時に、スウェーデン人の純血にもこだわるべきである」。これは当時のスウェーデンの有力政治家の発言だが、その発想は、スイスでロマ族を根絶しようとしたものと根が同一だった。

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この優生学に熱心になった地域以外にも少なからず普及はしたのだと思いますが、これらの街の作り方や衛生観念などにある種の共通性を傾向としてみることは、思想とその視覚化された結果をリンクさせるヒントにはなります。考え方がよく分からなければ、表出している街のカタチーこの場合厳密にいえば、19世紀以前にあったカタチではなく、19世紀後半以降のカタチを対象としなくてはいけないが、その底を流れる精神構造を指摘するならば、その限りではないーは良く分からないし、街のカタチをよく理解するには、その社会の考え方を知らないといけない。事例としては心の痛むものですが、そこにある意思を理解することは大切です。ロマの誘拐について、90年代になって政府が提出した報告の担当者ー文化情報局長ーに本書の筆者が、こう聞きます。

ー ナチズムの影響はあったのでしょうか。

局長 当時のスイスに、学者などナチズムの影響を受けた人々がいたことは事実です。だが、ロマ族の誘拐は、ロマの「生き方」を変えようとしたのであり、ユダヤ人の命を奪い、民族を消滅させようとしたナチスとは発想が違う。ロマ族が受けた苦痛は想像に余りありますが、ナチスの影響があったかどうかは、今後の研究課題です。

誘拐して「生き方を変える」というのは、どのような意味なのかよく分かりませんが、説得的意思の強い文化にある表現であろうことは分かります。ぼくは、「説得的意思」という言葉を使いましたが、この件の是非はさておき、ヨーロッパの文化に共通するのは、この説得的意思を重視するところであり、スイスにおいても当然であるばかりでなく、スイスのような小国が生きるためには、つねに「説得的」であることが欠かせません。優生学については、半世紀ほど説得できる環境が続き、その後、説得できる環境ではなくなったというべきなのでしょうか。

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Category 本を読む | Author 安西 洋之