ミラノサローネ 2010(3)-ユベントスを応援するドイツ人

市場適合性についても、これはかなり前提条件によって左右されます。市場は場所に限定されるのか?という質問があります。もちろん、違います。世代という時間軸も入ってきます。違った国のある世代のある階層の人達が示す特徴は、同じ国にいる異なる世代の異なる階層にある共通項より多いかもしれません。いわば、文化のカテゴリーわけの話になります。しかし、チャンピオンリーグで地元のバイエルミュンヘンを応援しないでユベントスを応援するドイツ人とイタリア人の間に共通の傾向があっても、W杯ではドイツ人はドイツをイタリア人はイタリアのチームを応援するでしょう。これは、ある嗜好性は、次元の違う世界に入ると通用しないことがある事例です。人はあることを全ての場合において受容するのではなく、ある限定条件のもので受容するわけです。

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シューマッハはフェラーリに入った当初、ドイツ人であるがゆえに親しみさに欠けるロボットのようなドライバーであると言われ、TVインタビューなどでもイタリア語を話さずに英語で通したことで、イタリアで受けがよくなった。が、連勝をはじめ、イタリア語も公の場で話すようになり、彼のイタリアでの株は上がりました。FIATのCMでも宅急便の運転手というコミカルな役柄を演じたのは、ゼロから親しみさを出すためではなく、ある程度、親しみがあると思われ始めた段階で、よりその方向を引っ張るための演出だったのでしょう。これは市場に受けいられるには、ある目に見える実績が有効ですが、それだけでも駄目だということを語ってくれます。また逆に、シューマッハが最初からイタリア語を話してにこやかであっても、それはそれで反感を買うということもあるでしょう。

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日本のアニメや漫画がヨーロッパのどのような階層に受けられ、その社会階層は社会全体でどの程度に力をもっているのかということを知っている場合と全く知らない場合、前者では大きなミスをおかす確率がかなり減るでしょう。日本の空をポケモンのイラストが入った飛行機が飛んでも、ヨーロッパの空は飛んでいない。ポケモンのイラストが入った銀行通帳が日本にあっても、ヨーロッパの銀行で同じようなことはなかなかない。それは未来永劫そうだというのではなく、ある時点で切り取った場合、そういうシーンの差異がある程度の時間、継続的に見られるということです。この差異を知らないでプレゼンすると、受け手は大きな違和感をもつわけです。

違和感をもたれることを意図的にやったのが村上隆でしょうが、彼は違和感の所在を日本美術の歴史と西洋美術の歴史を自分なりの解読をして、自分が新しいコンテクストを用意して、且つ、それを言語によって西洋人の説得を試みたところに成功の一因がありました。したがって、一見ベタなジャパンデザインを提示することに否と言っているのではなく、もしその方向に舵を合わせるならば、より大変なロジカルな説明をする必要があることを認識すべきです。それであっても、寿司を知らない人が最初に寿司を食べて「美味しい」と言わないのと同様、説得のための時間がかかります。この時間を覚悟できるならば、その道を選ぶのも悪くありません。が、それに対して寛容なのは、レクサスのような大量生産の高級車ではなく、生活雑貨的な分野の場合です。ビジネス規模やその商品のカテゴリーによっても、ある文化があります。その文化コードを読み違えないために、何を知らないといけないか?それは、ユベントスを応援するドイツ人が、W杯でドイツを応援する事例と似たところがあります。

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Category ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之