ミラノサローネ 2010(2)-誰に向って語りかけるか

さて「ミラノサローネ2010」を書き始めたからには、まずはいろいろと前提について話していかないといけないでしょう。何が良くて何が不足かは、およそ前提条件の設定次第です。例えば、誰に評価してもらうと一番嬉しいか?誰に向けて発表するのかということが、意思として決まらないといけない。よく日本市場で凱旋をするためにミラノで発表する、という何十年前の美術の展覧会ーあるいは、全くその世界では全く話題にならない公会堂でアリアを歌ったことを履歴に書くーと同じような発想とメンタリティとしてはそう違わないところで、サローネを考えている人たちがいまだにいます。それは事業規模を問わずです。

しかし、ぼくは「そういう参加の仕方をしてはいけない」とは表立って言いません。そうしたければ、そうすればいい。ただ、そういうメンタリティ自身が、この今の時代に、ブランドを毀損する可能性があることは自覚しておくべきではないかとは思います。何度も言うように、ブランドとは、「考え方の痕跡の集積」なのですから。「あの会社がそんなつもりで出しているの?!」といわれるのは、マイナスにこそなれ、何のプラスにもなりません。自らが「ガラバコスの象徴」であると世界の人達にわざわざ公表しても何の得にもならない。

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デザイン表現がどうのこうのという前に、というかデザイン表現に透けて見える、そのメンタリティがまずは批評の対象になることを知っておくとよいです。「これ、ヨーロッパの人達にはどうかな・・・誰に向ってやっているの?ああ、日本なの。じゃあ、何もコメントする立場にないね。勝手にやれば・・・・わざわざミラノに来て日本向けにやる、その精神構造がぼくにはついていけないからね」と言われるくらいなら、金をかけて出展するより、日本で同金額で他のプロモーション手段を考えるほうが経済効率が結果的にいいはずです。

ですから、ぼくがここで書くことは、ヨーロッパの人たちに評価されることを経済的にメリットがあると思う人達を対象にします。つまり、ヨーロッパの人達が自分の製品を買ってくれる、ヨーロッパのメーカーが自分のアイデアを量産として作ってくれる、ということが第一目標になっていることです。ぼくが2年連続で書いてきた「ミラノサローネ2008」「ミラノサローネ2009」は、基本的にその目線です。その目線でみたときに、2005年からスタートしたレクサスの表現はヨーロッパ市場では明らかにおかしいと書いてきたわけです。

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言葉にならない日本の文化表現こそがデザインコンセプトのコアになると語りー皮肉にも、それはドイツ民族主義の文化表現と同じで、スタイリングのみならず、デザインコンセプトまでもドイツを追従していることに気づかずに、日本は世界で唯一の表現をもっていると誇張したー、結果的に販売台数が伸びていない理由を逆に証明してしまったのです。米国でのメルセデス年間販売台数とレクサスのそれが良い勝負なのに対し、ヨーロッパでは10分の一にも至らぬ数字が、このストーリーを明らかにしました。だからこそ、6月23日、豊田章男社長は新任の記者会見で、従来の商品戦略を改め、市場適合性を重視していくと述べたわけです。

ぼくが語るのは、「ガラバコスではいけないの?」と開き直っている人達に対してではなく、ガラバコスとか何とかは一般的な傾向の話であって、極めて個人的な表現欲求としてもっと多くの人に評価してもらいたいと願い、極めて個人的な経済欲求としてもっと多くの人に買ってもらいたいと願う、そういう人達に対してです。そして、そういう人達が、語りかけるべき相手とは誰なのか?を書いていきましょう。

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Category ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之