僕自身の歴史を話します(15)ーミラノでのスタート
Date:08/6/27
イタリア人は自然の素材を好みます。シャツは化繊ではなく綿を着る。床材は大理石やタイルあるいはフローリング。ですから日本のメーカーが作った「本物にとてつもなく近づけた」工業製品に対して、その技術力は褒めても、「これはイタリア人の感性にあう製品ではない」と軽く遠ざけることが少なくありません。逆に日本ではクレームになりやすい皮革製品にある成長傷は当然とうけいれます。レンガが零下で白っぽくなるのは当たり前、湿気で伸縮が生じるのは木材の特徴。こういうかつて、常識だったことが日本ではだんだんと忘れさられ、工業製品の品質安定性を選択するようになってきたなかで、イタリアはあくまでもその常識を忘れません。常識を忘れない強い感性があるともいえます。冷凍食品の普及率が日本だけでなく英国と比べても低いという現象にも、この説明は有効です。
こういう違いを身にしてみて分かってきたのが、イタリアにきて5-6年目でした。「身にしみて」と書きましたが、これは文字通りで、下着や靴下の類も日本製を避けるようになったのです。ゴムがきっちりときいた靴下をはくと窮屈だと感じるようになり、イタリアの無理のない強さが心地よく思えてきました。 日本で受けるタイルとイタリアで売れるタイルでは、サイズに違いがあります。日本のほうが小さい。それは空間の大きさの違いが反映されているのですが、ぼくはそれだけでなく、日本人には小さなサイズを何でも好む、別の動機があるように思えてしかたがありませんでした。そしてイタリアでは、パスタはある一定の量を食べないと味が分からないはずであるというロジックと同じことが、色々な製品に当てはまるだろうと考えたのです。

ある体験をしたという実感をするための絶対的な量の違いは、言葉でも同じです。何かを褒めるための台詞が日本人であれば十数秒で終わってしまうのが、イタリア人は2-3分。色々な形容詞や表現を次々に繰り出してくる。日本人であればうんざりするくらいの言葉のシャワーを浴びせる。実際、多くの日本人はうんざりします。しかし逆の場合、イタリア人は日本人の言葉の少なさにがっかりします。十数秒で終わるくらいの価値しかないのかと肩を落とすわけです。
このようにイタリアと日本の違いについて、自分の実感をもって自分の言葉で少し語れるようにはなりましたが、イタリアにきた当初に文化セミナーのミーティングで話題になったような、「それでは文化の違いをどう受け入れるのか?」という問いには、まだ言葉が詰まったのではなかったかと思います。多分、この頃、1995年だったと思います。メトロクスの社長である下坪氏からFAXをもらったのは。






