僕自身の歴史を話します(14)ーミラノでのスタート

膜構造やテンション構造が求められる柱の不要な空間とは何だろうかと考え、農業用ビニールハウス設計の可能性を探ったのも、この時期でした。日本の農家、それも先進的農法や農業の観光化に関心の強い農家を直接訪ねもしました。ビニールハウスのデザインそのものに独自性をもたせることで、地域のシンボル化が図れないかとも考えました。話としてはとても面白いと色々な人が言ってくれました。しかし、農業の利潤性の悪さは、こうした試みをそう簡単には受け入れてくれません。

そういうことと並行して、日本の化粧品メーカーの什器をイタリアで開発・生産し輸出するプロジェクトにかかわりました。正直に言うと、イタリアにおいてはやや地味な印象を受けるデザインながら、日本では「イタリアらしい」とされました。イタリアでセンス抜群とされるデザインは、日本では浮いてしまうのです。それこそ、イタリア人が「イタリアらしい」とも気づかないところに、日本の人は「この厚みやカラーがイタリアらしいですね」と評します。イタリアに目が慣れていたぼくには、少々不満ですが、これがビジネスの交差点なのだと理解しました。

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また、工業製品のデザインも日本から求められるようになります。日本では新しい機能をデザインとみなす傾向が強いので、なるべくアート系より技術系出身のデザイナーとの付き合いを増やしていきました。およそミラノのデザイン事務所は技術製品の開発より家具や雑貨などのデザインを得意とすることが多く、こういう領域とは相変わらず距離をもっていました。

日本からの要求で多いのは最初のアイデアです。最初のひらめきをアイデアスケッチで求められることも多く、レンダリングを提示すると、あとは日本が引き継ぐというパターンです。これはこちらでは「盗人」的に受け取られ、そこの調整に難儀することが少なくありません。どうして「ひらめき」が要望されるかは推測がつきます。インハウスデザイナーは同じことの繰り返しに慣れ、技術的な壁も即想像がついてしまうこともありますが、社会的な規範が生む発想の幅の狭さにメーカー自身が気づいていることもあります。しかし、そうは分かっても、どうにもこちらにイライラ感が募ります。

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Category さまざまなデザイン, 僕自身の歴史を話します | Author 安西 洋之