クリスマスに近いスイスあるいはイスラム教の風景
Date:09/12/2
昨日、スイスに出かけました。朝、7時10分のミラノ発の電車に乗り込み、チューリッヒに到着したのは12時半。予定では10時半でしたから2時間の遅れ。雪のためにダイヤが大幅に狂い、チューリッヒまで電車を三回も乗り換える羽目になったのです。次の電車を待つ間、しんしんと降る雪を眺めるしかなく、12月なのであたりまえなのですが、意外なところに潜んでいた冬の襲撃を受けたような気分です。下は車窓からの眺め。

ヨーロッパ文化部ノートにメモしたように、この日曜日、スイスでは国民投票が実施されました。イスラム教寺院の尖塔建設を禁じる法案にYESとするかNOとするか。57%がYESでした。これはイスラム教自身の問題でもないし、イスラム教信者の移民の行動の問題でもなく、「目に見える異文化」への心理的不安感を煽った結果ではないかと思えます。プロテスタントとカトリックの教会の形状の違いではなく、じょじょに増加するイスラム教の人達(スイスの外国人は約20%で、イスラムは40万人)がイスラム教の形状に象徴されるとなったとき(まだ4つの尖塔しかないが)、宗教の自由の「かたち」が表面に出てきたともいえます。EUに加盟していないスイス政府が、ルクセンブルグの欧州司法裁判所に絡んでもらうよう働きかけるかどうかなど色々な可能性があるでしょうから、この問題は行方を注視していこうと思います。

チューリッヒでは、駅からタクシーで10分くらいの高台にあるお宅を訪問しました。上の写真は居間からテラスをみたところ。今から10年ほど前、スイスの全体像を描く本を編集した女性の自宅です。自然、政治、宗教、経済、教育、建築・・・・全てを、それぞれのエキスパートが書いた稀な本です。そして写真の質が抜群。彼女はチューリッヒの大学の元学長で経済史が専門の方も一緒に招いてくれていて、昼食をご馳走になりました。彼女は「以前なら市内の書店に日本関係の書籍が沢山あったのに、最近はまったくない。中国の本ばかり。日本には素晴らしい文化があるのに、それはディテールで語るのみで、全体のかたちに落とし込むのが苦手で、非常に損をしている」と嘆きます。日本通であるからこそ、その存在感の低下に危機感をより募らせます。居間にある下の作品は中国のものです。

ぼくの持論である、加藤周一に代表される知識人がヨーロッパ文化について書いてきたことを、ビジネスに応用できるようにどう統合して視覚化するかが重要だと話すと、「ここには加藤周一さんも来ましたよ」と言われ、それなら話しは早いと、ぼくの舌ものりはじめます。狭義の文化のための文化ではなく、広義の文化のための文化を説明していくための具体事例についてディスカッションです。要するに経済的価値を生む文化理解の事例です。スイスの文化面だけでなく政財界にも顔の広い彼女も主旨に賛成してくれ、どんどんと人を紹介していこうと言ってくれます。彼女のように日本(中国やインドにも造詣が深いようですが)をよく知り、かつその問題点を痛感しているスイス人が味方になってくれると心強いです。

もちろん、上述した国民投票についても話題になりましたが、57%という数字を前にして、「あれは極右の運動だから」と弁解できない苦しさが感じられました。多文化に関心の強いインテリだからこその苦しさです。住宅地から市内に戻ると、もう暗く、クリスマスのイルミネーションが迎えてくれます。駅の構内では、クリスマス用品などを売った店が立ち並び、「スイスの師走」ぶりです。遠くにみえる白いツリーは、スワロフスキー製です。


ミラノに戻る電車は、やはり到着が遅れています。それで駅内をぶらぶらしていて、気づいたのが以下のH&Mの広告です。ソニア・リキエルがデザインしたようですが、このナイトガウン、KIMONOと書かれています。美容院に行っても、「KIMONOを着てください」と言われるし、息子の空手のイタリア人の先生も空手着をKIMONOと呼んでいます。ボタンがなく身体の前面で生地を合わせてヒモなりでとめるものを、全てKIMONOと呼んでいるようです。日本人とすれば、浴衣でもKIMONOと呼ばれたくない気持ちがあると思いますが、これは中国人の作る日本料理と同じで、KIMONOの再定義であると考えるべきでしょう。







