棚橋弘季『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』を読む

ミラノのカドルナ駅に近いカスティリオーニのデザインスタジオは一見の価値があります。今は亡きデザイナーのスタジオがトリエンナーレと銀行の助成で、そのままの形で残されています。何がいいかって、カスティリオーニが「これ、面白いじゃない」と手にとって集めてきた玩具や雑貨の一つ一つが興味深いのです。彼がたまにそれらを手にとり触れて遊んだ風景が自然と思い浮かべられる。そして、「あっ、そうだ。これがいいんだ。これ、今のプロジェクトのあれの打開策になりそうだ!」と独り言を言ったであろう、そのプロセスも想起できるのです。それも彼の娘さんが案内してくれるわけですから、これはなんと言ってもお徳としかいいようがない!

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J.J.ギブソンらによる生態学的心理学の分野では、人間は動きのなかで物を認識し評価し利用しているといわれています。いわゆるアフォーダンスです。動きがなければ人間は物を立体視することすらできません。もちろん、それ以前にまったく動かさずにいるというのが人間にはできませんが(止まっているつもりでも眼球はつねに運動しています)。物の形というのは、そうした動きのなかでしか物を把握できない人間がちゃんと認識できるようになっている。

つまり、、物の輪郭には人間の動きが残像として残っているとみることができる。カスティリオーニはそうした物の形・輪郭に対して、自分自身の身体を通して迫ることで、その輪郭に残像として映った人間の動きを再生しようとしたのでしょう。まさに歴史家、考古学者的な身振りです。デザイン思考にはこうした姿勢も必要です。

棚橋氏は多木陽介『アッキーレ・カスティリオーニ 自由の探求としてのデザイン』を引用しながら、上のように述べ、「デザインすることで固定してしまう形態は動きは、道具を使う人びとの身体の動きや行為の軌跡を模倣している必要がある」と書いています。静的ではなく動的な状況把握の必要性を説き、動的痕跡の集積を如何に全体的に把握するかが大事だと語っているわけです。

これは少々敷衍し且つ逆にも置き換えると、多くのことについて言え、ぼくも何度も書いているように、静的状況に関する記述や解析は世の中に沢山ありますが、動的状況に対してどうかとみると、かなりまだまだお粗末なことが多い。それは理由は色々ありますが、時間軸を用いた把握というのは極めて難解な操作を伴わないといけないからでしょう。机上で地図を眺めて地理を把握することと、時速70-80キロでカウントリーロードを走るクルマのなかで地理を把握することは、明らかに違う次元での処理を求められているのに、相変わらず静的把握の応用でひっぱろうとする。カーナビのインターフェースのことにぼくは言及しているのですが、ここで頭の切り替えが必要なのに、その切り替えの必要性自身を認識できていないことが多々あるわけです。

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棚橋氏の指摘を更に別の観点でみたとき、「まさに歴史家、考古学者的な身振りです」という箇所に目がいきます。歴史家や考古学者となったとき、そこには政治学や社会学、経済学あるいは哲学も化学、全てが肩の荷にかかってくるわけですが、問題は、それらを全て背負うということは、それらの知識を全て獲得せよということではなく、可能な限りの視点を集めろということです。それが以下のユーザーテストにつながる説明でも分かります。

デザインとは生活文化をつくる仕事だといいました。商品やサービスをつくることがデザインのゴールではないんですね。それが現実の生活の場に適応できてはじめてゴールを達成したということができる。

この部分、ユーザー工学の黒須正明さんの提唱する人工物発達学と係わってくる点で、以前の引用をもう一度ここにペーストしておきます。デザインを考える意味が何なのかを想うとき、この二つの記述はリンクしてしかるべきでしょう。

人工物発達学は、特定の目標達成を支援する 目的で開発された人工物のデザインがなぜ多様であるのか、またその多様性には歴史的・環境的・社会的・文 化的な必然性があるのかどうか、またそこには認知工学的・人間工学的な合理性があるのかどうかを明らかにする研究領域である。つまり、同一の目標達成を支 援するために多様なデザインがあった時、それらが歴史的・環境的・社会的・文化的にみて、それなりに必然として成立したデザインといえるかどうかを分析評 価する。その上で、ユーザビリティの観点、つまり認知工学や人間工学の観点からみても最適となっているかどうかを分析評価する。

人工物には、たとえば歴史的必然性はあっても、認知工学や人間工学か ら見たときに合理性や必然性がないものもある。人工物発達学は単純に歴史や文化 を否定するものではないが、合理性がないデザイン、あるいは低いデザインについては、少なくともそうした認識は必要であり、またユーザが合理性や必然性を 追求する場合には、利用するデザインの切り替えが発生しても然るべきだと提唱者黒須正明は考えた。

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Category 本を読む | Author 安西 洋之