僕自身の歴史を話します(7)ー日本を離れるまで

89年はまだバブル経済で狂っていた時代です。だから車を作りたいという会社も自動車会社以外に少なくありませんでした。5月からプロジェクトを企画し猛進した。 一時は光明が見えたかにも思えたのですが、半年後の10月、関係者の動きからみてこれは座礁すると判断し、宮川氏に白旗をあげざるをえませんでした。

そうしたら11月はじめの帝国ホテルで「2年間、トリノで面倒をみよう。最初はヨチヨチ歩きだろう。自分で歩けるまで2年間は必要だろう。その後、独立すればいい」「今までは企画書をちゃんと書いて仕事をする世界にいたわけだが、これからは野武士になって欲しい」と言われたのです。狂喜の一瞬でした。

実際には90年3月から3年半、トリノのあの会社らしからぬ空間の事務所にいました。それまでの会社をやめたのが90年2月28日、イタリアに向けて成田を発ったのは3月1日。 宮川氏にどうすれば評価してもらえるか・・・毎日のように考え実行に移した89年でした。

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学生時代からの付き合いで、卒業後もしょっちゅう翌朝まで酒を飲んでは「明日を生きる」ことを語り合っていた先輩は色々と相談にのってくれ、励ましてもしてくれました。 あの3月1日の夜、いまは多くの若い人たちから「夜回り先生」と呼ばれる彼が成田で言った「いつも去る人間より去られる人間の方が寂しいんだよ」という台詞は今も忘れません。彼には深く感謝しています。

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Category さまざまなデザイン, 僕自身の歴史を話します | Author 安西 洋之