雑誌『AXIS 12月号』を読む

先月末、一橋大学大学院国際企業戦略科教授の石倉洋子さんの研究室でヨーロッパ文化やインターフェースについて話していたとき、石倉さんが「学生のためにロジカル思考について書かれた英語の本を探しているのですが、なかなか見つからなくて・・・日本語では沢山出ているのにね。外国人の学生には、大学院になっていまさらロジカル思考をあらためて学ぶ需要ってないんでしょうね」と語っていました。ロジカルに考えることが当たり前すぎるのでしょう。高校でラテン語やギリシャ語を学ぶのは、論理教育が目的であるのは知られたところですが、そういう課程を終えてきた学生にとって、ロジカルに考えるためのレッスンは意外感を伴うのです。

ba

以前、英国人の若いデザイナーが「本を読まない教養のないデザイナーって何なの?」とぼくの目の前でつぶやいた話を書きましたが、あるレベルの社会的文化的な関心をデザイナーの素養として当然のものとして語ったわけです。ぼくがヨーロッパのデザイナー達とつきあってきて思うことは、もちろん人によって差異があるにせよ、「デザイナーに教養はいらないよね」「デザイナーは本を読まなくてもいいんだ」と表立って言うことがないことです(無論、日本でもこうはっきりと言いませんが、この「当たり前率」が違います)。たとえば、雑誌TIMEで「イタリアの日刊紙はエリートによるエリートの世界を書いたエリートのためのメディアである」(だから一般人が読んでも理解しずらい記事が多い)との記事を読んだことがあります。そこには過剰で大げさな表現がありますが、1990年代にプロダクトデザインのコースができる前、建築学科で学ぶことがデザイナーの道であった時、そのような空気があったことは確かでしょう。ネットが主流になった今、新聞にそこまでのステイタスがありません。が、デザイナーもあるレベル以上の教養が当然視されるというのは、デザインを教える先生たちの本棚を眺めればすぐ分かります。

mo

デザイン雑誌のAXIS12月号は「アドバンスト・デザインリサーチ」を特集しており、米国や欧州の事例を紹介しています。よく日本のデザイナーから「表現の仕方が(ヨーロッパは)違うよね。考えていることはかなり似ているというか、同じと思うけどね・・・」という感想を聞くのですが、そのたびに、ぼくは「違うと思うんだけどな・・・」と独白します。表現が違うが考えていることが同じということはなく、表現が違うとは考えていることも違うからだ、とぼくは思うからです。そのことを、この特集記事を読みながら思いました。英文版を読む米国やヨーロッパの読者は、石倉さんのいう「ロジカル思考は基礎」という感想を抱き、日本語版を読む日本の読者は、「結構、同じところを考えているんじゃないの」という感じをもつのではないか、と。

ad

確かに似たようなリアリティを前にして、似たような手法でリサーチを行っているケースがありますが、それを同じというのではなく、違いを見出すことがリサーチの肝ではないかと思うのです。「ある違ったアングルからみれば、それは違った現実があると考えるべき」という考え方があることを事実として知っているべきなのです。後工程で類似項目を一つの共通項で同じカテゴリーに入れるにせよ、まずは一つ一つ、あるいは一人一人のディテールに目をむけたとき、同じとは言いがたいとみる見識と感性が要求されるでしょう。そして、それには多くの「読書による擬似経験」(立花隆・佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』での佐藤優の発言)、すなわち教養が役立つはずです。このAXIS12月号の特集記事は、こういう観点に注意を払って読むのがいいと思います。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category 本を読む | Author 安西 洋之