アニメや漫画で何を伝えたいのか?

何事も議論は白熱しないと意味がありません。さまざまな無知がコトを混乱させようが、その無知を生む土壌を発見することにも意味があり、どの意見に意味があり、どの意見に意味がないとは言いがたいものがあります。だから、どんどんと発言すればいい・・・・と思ったのは、日経ビジネスオンラインの記事をまとめて読んだ感想です。バシバシと事実を暴いていかないことには、話しが進まないからです。

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11月4日の「実は“下り坂”のジャパン・アニメ~騒いでいたのは関係ない人たちだけ関係ない人の自己満足コールド・ジャパン症例〈自己満足〉型」と11月10日の「世界が驚くほどの巨大な「殿堂」を作れば良かった?そろそろ、「送り手のエゴ」から「受け手のエゴ」へ」の二つを読みました。前者はコメントが74もついていています。話題は海外市場における「クールジャパン」「アニメ」「漫画」の位置と受け方です。この類の話で衝突する原因の一つは、視点の高さと低さ(広さと狭さ)の設定です。要するに「オタク」は正統的ユーザーと見なすかどうかがまず問題になり、その経済的規模が他産業(あるいは他国の競合)と比べて適正な数字をもつかどうかです。そして、サブカルチャーの規模と位置判断もキーになります。

一方で、こういうのは文化商品であるため、クルマや家電とは違う難しさがあるという指摘も多々あり、クルマや家電の文化性の問題を無視しているというか、多分、単に知らないのだと思います。そこに状況の全体を見切れない要因があります。文化問題としてみる範囲が非常に限定的ゆえ、議論がどうしてもギクシャクします。経済と文化をまったく分離したごとくにみる見方にも無理があります。しかし、ぼくがこれらの記事と多くのコメントを読んでいて思ったのは、「何のためのアニメや漫画なの?」という疑問です。

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日本のアニメや漫画は質が良いという表現が散見しますが、何の質がいいのか?がよく分からない。職人的な技術を指していることもあるようですが、これらの商品の質の良さとは何を指すのかが理解しがたいのです。映画や音楽が職人的技術だけで世界市場をとることは困難だと想像しますが、アニメや漫画は違うといいだけなところが気になります。コンテンツ産業はストーリーやアイデアあるいはコンセプトで勝負するはずだと思いますが、どうもそういう視点が「薄い」ように見えてしかたがありません。

議論を表現形式のレベルにとどめるなら、その市場性や経済規模を云々すること自身が滑稽だし、肝心の中身で勝負することを指すなら、二勝一敗などは望むべくもなく、一勝十敗以上の世界ではないかと思います。日本の文学作品の市場性と比較すればゼロの数が断然に違うでしょうが、アニメや漫画に、そもそもその中身に圧倒的な強さがあるのかどうかをもっと問うべきだろうと考えます。そのうえで、戦略が語られてしかるべきです。

「長期戦は思想の確立で勝つ」でモノのビジネスでも哲学性が重要で、考え方を人に伝播するというミッションが一番長期的市場性をもつことを書きました。西洋クラシック音楽がいまだ大きなビジネスをしている(できている)のは何故なのか。以前、ヨーロッパ文化部ノート「ドイツが仕掛ける(?)バイオリン市場」で、ドイツにおける古いバイオリンへの拘りが、クラシック音楽ビジネスと何処かで繋がっているのではないかとの自問を呈しましたが、クラシック音楽をバックから支える思想性に思いを馳せるとき、日本のアニメや漫画などが長期戦で勝つために何をしなければいけないか、それはかなりはっきりと見えてくるものがあるはずです。

<11月11日追記>

日経ビジネスオンラインに「アニメは次の成長モデルを作れるか?」という記事が掲載されたので、この記事をリファーしたエントリーを「ヨーロッパ文化部ノート」に「日本の文化産業を考える」として書きました。

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Category 『ヨーロッパの目 日本の目』 | Author 安西 洋之