立花隆・佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』を読む

読書論あるいはブックガイドといったものにある時から関心を失いました。さらに言えば、本を読むこと自身に意義を見出しにくかった時期があります。ぼくの30代です。日本の会社勤めをやめ、イタリアに住み始めた頃からです。それまで、あまりに机上のロジックで生きてきたという自覚が生まれ、自分の経験でものを語ることに熱中しはじめた時とも言い換えられます。自分の言葉で自分を語れてなくして何の意味がある?というプレッシャーが強かったのです。学生時代から20代にかけて好みであった読書ガイドが、ぼくのもっとも敵対する対象に変化していったのです。その時代に買った本は、直接ビジネスに直結する本を除けば、その前後の時期と比較すると少ないです。哲学者のショーペンハウエル『読書論』のなかで、読書のしすぎは頭が悪くなると書いている、と佐藤優が紹介していますが、ぼくはこの言葉を学生時代に読んで、よく意味が理解できませんでしたが、それを30代で明確に把握したということでしょう。

現実の体験データがそれなりに満載になりはじめた時、あるいは自分の言葉でイタリア文化を語り始めていると自覚した時、じょじょに本にまた目がむかいつつありました。ただ、いわゆる「趣味の読書」には興味がむかず、それはサバイバルのためです。現実での理論武装という意味合いもありますが、第一優先は、自分の経験はどこまでの領域をカバーしえているのか?という自問に対する回答を探しはじめたとの色彩が強かったかもしれません。分野とか領域ではなく、どのあたりの地平線までぼくは目配せができ、どこに越えられぬ山があるか、という認識をしておきたいということだったと思います。また、その頃、インターネットが普及をはじめ、一般の人たちの教養がどんなものであるかが、いやおうなしに視覚化されるようになりました。そういう意味で、ネットの「暴く力」はすごいものがあります。自分とその人たちと同じ部分と違う部分に気づき始めたのです。ぼくの選んだ36冊は、以上のような経緯と背景をもっても語ることができます

bo

どの本を読むべきかの指針は、問題意識の設定の仕方でがらりと違ってきます。つまり、「えっ、こんな本を選ぶの?」という本も、「こういう時に、無用な場所に惹かれないために必要な力を養っていくためなんだ」という説明をうけると納得できるものです。よって読書ガイドというのは、現代をどう読むか?が大前提になるわけで、ガイドする人間の脚力というか投球力というか、もろもろの力量が試されることになります。佐藤優がマルクスの本をここで何冊も選んでいるのは、以下のような理由によります。

佐藤 今、マルクスがまたブームになっていますよね。私は、この傾向は危ないと思っているから、あえてマルクスの基本的作品をとりあげました。

立花 危ない?

佐藤 そうです。ナショナリズム運動も同様ですが、共産主義運動は、二流の知識人、あるいは二流のエリートがやる運動だと思っているんです。二流の知識人、二流のエリートにとって、ナショナリズムや共産主義は、一流のポストに上がるための、とても便利な道具なんです。そういう連中が高いポストに就いても、質が落ちるだけで、権力の暴力的な構造は全然変わらない。それに対する耐性をつけるためにマルクスのテキストの腑分けをする能力をつけておかないといけない。

立花 マルクス主義の正しい部分と、誤っている部分とを腑分けする、と。

佐藤 そうです。それができないと、新自由主義が進んで、社会がガタガタになる。そうすると今度は、ちょっと形を変えた共産主義運動が出てきて、日本の国が混乱に陥る。私はそれが嫌なのです。だから、マルクスの内在的論理をつかみとって、どこが優れているか、どこがイカれているか、ということをテキストとして読み取れるようにしないといけないわけですよ。

マルクスへの考え方の是非は別として、ぼくは佐藤のこの指摘はよいと思います。ある真空地帯を生まないための工夫が必要であり、その真空地帯をかぎつけてくる勢力にどう対抗する力をもつか、それが教養であると佐藤は言うのです。宗教に対する素養もまったく同じレベルで要求されてしかるべきで、今の日本のように宗教が力を失うどころか、その存在さえ認知されないー告別式の地位低下や火葬場での見送りだけという直葬の増加にみるような事態ー状況はぼくも危ういとみており、宗教心をもつかどうかではなく、宗教の力加減を認識しておくという意味で、宗教の教養が意義をもつのではないかと考えています。

libri

尚、アメリカとプラグマティズムに関する下記部分は傾聴に値します。引用しておきます。

佐藤 (前略) もう一つ、アメリカを考えるとき詰めて考えないといけないのはプラグマティズム。それでプラグマティストの代表者の一人ウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』を入れました。

立花 ぼくはウィリアム・ジェイムズが好きで著作集は全部読みました。プラグマティズムはアメリカ的なものの考え方を理解する上で、いちばん重要なものの一つですが、日本では原典が読まれないから誤解している人が多い。ある観念が正しいかどうかは、それを現実化した時の結果によってのみ判定される。「樹はその実らす果実によってのみ判定される」という考え方です。それはイエスの教えだったし、キルケゴール哲学の基本でもあった。

佐藤 正しいことをやれば、どうして成功するのか、それは神様が判定しているからだ。これがプラグマティズムなんです。つまり、後ろに神様が隠れている。天によってサポートされているから成功するんだという、その一種の中世的なリアリズム(実念論)の構成になっているんです。だから、力によって戦争に勝利することを正当化することができる。アメリカにおいて、戦争で勝利することと、正しいことの間に乖離があるという感覚が生まれにくいという背景にプラグマティズムな発想がある。

これを読むと、日本のロジックは、このプラグマティズムの背景を知らずにアメリカの論理に侵食されている部分が少なくないことに気づくでしょう。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category 安西洋之の36冊の本, 本を読む | Author 安西 洋之