僕自身の歴史を話します(6)ー日本を離れるまで

トリノでぼくは「自動車と都市計画の両方を視野に入れたビジネスを作っていきたい」と話しました。「考え方としては面白いが、ビジネスは別個に考えた方が いい。石畳とアスファルトの道ではサスペンションを変えないといけないし、コミュニティのあり方との関係で新しいコンセプトの車もスタディしている。が、 ビジネスにはまだ早い」というのが宮川氏の意見でした。 そこで二つのプロジェクトの可能性を示してくれたのです。一つはスーパーカーの限定生産。もう一つはトスカーナに約12万坪の丘にある狩の館を購入したので文化センター設立。

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その頃、自動車会社にいたぼくは、スーパーカープロジェクトに何らかの貢献ができるかもしれないと考えました。 しかし、それらがどういう意図でどういう人たちの間でどのように進められているかという詳細は何も教えてくれない。この日に分かったことが一つあります。頭を下げてお願いしますと言えば働けるものではなく、ぼくが何らかのことを具体的に示す必要がある、ということでした。これが宮川氏流の仕事のやり方だと、ぼくは理解したのです。

東京に戻っても、彼が言った「このままいくと、日本では試行錯誤という言葉が死語になってしまうかもしれない」という台詞が頭から離れません。 ぼくの結論はこうでした。日本からビジネスのお土産をイタリアに持って飛んでいくしかない。会社の仕事との二足のわらじの生活がこうしたスタートしたのです。

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Category さまざまなデザイン, 僕自身の歴史を話します | Author 安西 洋之