他人の舌で寿司を食うな!
Date:09/11/3
約1ヶ月の日本滞在を終え、今週末にミラノに戻ります。この1ヶ月ヨーロッパ文化やビジネスのことを話してきましたが、その「媒体」としてデザインを多く使ってきました。かつてハイカルチャーの美術を介してヨーロッパを語ることはあっても、サブカルチャーとしてのデザインを通じてデザイン関係者以外にヨーロッパ文化を語りかけるという試みが少なかったように思います。デザインという視覚化され日常生活に密着しているフィールドを基にすることが、文化理解の及ぼす範囲を大きく広げてくれるのではないかと考えたのです。
それは、今もそう思っていますが、それだけでは足りないということも考えています。デザインはデザイン関係者にはもちろん通じるツールですが、デザイン関係者以外には、クラシック音楽やファインアートと同じく、「ピンとこない」世界です。橋本潤さんの椅子を「これはオリエンタルな軽さである」と表現しても、一度もデザインを真正面から考えたことのない人にはやや距離感があります。「日本では最初に全体のカタチを考えず、ディテールからはじまるが、西洋では最初にコンセプトと全体のカタチを考え、そこから分割したディテールを追っていく」という話も、パリの街の写真と、近所の商店街の写真を見比べて「あっ!」と思うものです。


日々の生活に近接している話題であるとぼくが思っても、それは勝手な思い込みであることもままあります。それに対して、料理や味の話をすると首を大きく縦に振ってくれます。ぼくが「ユニバーサルとは言葉で納得できることを指し、(ある程度のビジネスの世界では)心でそのまま通じ合えるとは思わないことだ」と話すと、首を傾げる方ができてますが、「子供が小さいときから、刺身を美味しいといってパクパク食べますか?うになんか、かなり難題でしょう。外国人で寿司を食べた瞬間に美味いと思う人はどれだけいると思いますか?」というと、「そうか・・」と思ってくれます。すべからく学習の成果によって「美しい」「美味しい」という評価ができていることを忘れている方が思いのほか多いのです。
ここでいう学習とは一人一人の生き様の結果であり、どこかに「学習指導要綱」があるわけではありません。何度も書いているように、現状とはどこかにある秩序だった世界にあるのではなく、あなた自身を含む世界であり、あなた自身の解釈と定義によって成立するものです。寿司を美味しいと思い、そう語る。寿司はやはりまずいといって、そう語る。これが現状のシンボリックなあり方なのです。「寿司は美味しいといわなくてはならない。さもないと無粋とレッテルが貼られる。それは日本人として恥ずかしい」と思わないメンタリティが大事なのです。ちなみに、ぼくは寿司が大好きですが・・・。
アゴラにピンとくるコラムがありました。以下、引用しておきます。自分の舌を徹底して信じることです。
経典主義者たち(「受験エリート」といいかえてもいいかもしれません)による、不毛な「模範解答探し」を聞き及ぶにつけて、私は量子物理学者、リチャード・ファインマン博士の次の言葉を思い起こし、時には安易な道に進みかねない自分を戒めています。
「私は迷うこと、不確かなこと、そして無知を恐れない。知らないことに囲まれて人生をおくる方が、間違っているかもしれないことを信じて生きるよりも、よっぽど楽しい。」






