僕自身の歴史を話します(4)ー日本を離れるまで

1989年1月末になっても、宮川氏からは何の返事もきません。半ば予想していたこととはいえ、やはり気落ちします。彼の本のなかにあった、あるエピソードを思い出します。オートバイの世界一周を企画している頃、朝日新聞ロンドン特派員がトヨタの車でロンドンから東京まで走りきりました。それが新聞で連載され、大きな話題になっていたのですが、宮川氏はこの記者にアドバイスを求めようとしました。しかし、やはり手紙にすぐ返事がきません。が、三度目の手紙に「自宅においでください」とのお誘いがきたのです。ぼくも、三度は覚悟しないといけないと思っていました。

そうはいっても、何とか一度は会ってみたいと思う気持ちは日々大きくなるばかりで、2月のある日、思い切ってトリノのイタルデザインに直接電話しました。そうしたら「夜、自宅に電話するといい」と言われ、やはり自宅の電話番号も入手していたぼくは、日本時間の夜中遅くに彼の自宅に電話しました。いつも本人はおらず、毎日違った子供が電話に出ました。宮川氏本人と電話で話せたのは3-4度目でした。「はい、手紙は読んでますよ。一度、会いましょう。今度、東京に行ったときに、いろいろと話しましょう」という言葉を聞いた晩、興奮して眠れるはずもないベッドでのなかで一晩中、これからのことを考えました。

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宮川氏と有楽町の帝国ホテルのレストランで朝食を一緒にとった時、「階段をひとつひとつ上るように、ひとつの会社のなかで出世していく人生を悪いとは言わないが、自分で考えながら山や谷をこえて切り開いていく人生の魅力には勝てないよ」「イタリアは先進国の顔をしたジャングルだね。一度、イタリアのサイズというのが、どういうものなのか、実際に知ってみるといいと思う」と言われ、その場でぼくはすぐ、「今度のGWにトリノに伺います」と答えました。これは行くしかない、と。

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Category さまざまなデザイン, 僕自身の歴史を話します | Author 安西 洋之