僕自身の歴史を話します(2)ー日本を離れるまで
Date:08/6/10
1980年代後半、日本は経済活況期でした。それが後になって過去を形容する言葉として、「バブルの時代」と呼ばれるようになったのですが、その頃、ぼくは日本の自動車メーカーでサラリーマンをやっていました。欧州の自動車メーカーにエンジンやギアボックスなどのコンポーネントを供給する仕事でした。その一つに英国のスポーツカーメーカーとのプロジェクトがあったのですが、英国人の頑固さと柔軟性に接しながら、ぼくは一つのことを思いました。「何か新しいコンセプトを作っていくには、米国ではなく、欧州のほうが相応しいのではないか」ということです。もちろん、米国でも新しいコンセプトは生まれますが、過去の遺産と常に見比べながら将来を考える欧州の方に分があるのではないか。そう思ったのです。
一方、ぼくは、できるだけ全体を包括的に掴んで生きたいという願望を、高校生の頃よりもっていました。大学はフランス文学科を卒業したのですが、この学科を選んだのは、フランスでは文化の捉え方が非常に広範囲であることが魅力でした。分野を細かく分割せずに、文学、政治、美術、社会などを横断的にカバーできる、あるいはカバーしないと話しにならない。そういう考え方が気に入ったのです。そういう性向からすると、サラリーマンとして自動車だけやっていることも、だんだんと不満になってきました。自動車という商品はビジネスとして面白いですが、それだけに関わっていることに焦りを感じました。

いくつか転職先を探してみました。しかし、どうにも惹きつけられるものがありませんでした。ビジネスをやり、文化を語り、社会貢献にも参加する。そして、それらが個々に独立しているのではなく、全てがお互いに相乗作用しあう。そういう世界があるのではないか、いや、それをやっていく道を探るべきではないか。そういう思いを抱えていたぼくにとって、東京であたってみた会社はどれもつまらなく思えてしまったのです。そんな胸のうちを、それまでにも相談にのっていただいていた勤めていた会社の役員に話しました。そうしたら「君のやりたいことをやっている人が、ここにいるよ」と一冊の本を差し出してくれました。それが『われら地球家族』という名の本でした。
1988年11月のことでした。






