ヨーロッパ文化を伝える(6/6)

ヨーロッパ文化をおさえるにあたり、生活シーンを重視し、しかし、そこの喜怒哀楽でエピソードを終えるのではなく、それをビジネスー最終消費財の企画や販売ーにつなげていくことが重要で、そのためには大枠の地図を自分なりに作っていくことが大切であると書いてきました。自分なりの地図なのですから、自分の経験と見方の検証の積み重ねで作っていくわけです。ですから自分一人で見切ることが必要で、どこかにいる会ったこともない人がどんなにすばらしい専門家であろうと、その人の意見を参考にしながらも精神的に依存することは避けなければいけません。その人が自分と同じシチュエーションであることはほぼありえないのですから、自分を中心に考えるべきです。

ただ、三点観測は心がけるべき点で、言葉でいえば、日本語、英語、それともう一つの言葉で世界をみることを指します。それができなければ、少なくても地域の三点観測ーたとえば同じ情報を日本、アメリカ、ヨーロッパでどう報道しているかをみるーことが重要です。アメリカは多極化のなかでも外せない地域ですから、このアメリカをどう脇から眺めるか?いや、眺める事ができるか?が腕の発揮のしどころでしょう。これができてくると、日本で伝わっている海外情報の多くがいかにアンバランスなものであるかが分かってくるはずです。

デザインは視覚化された情報として使えると書きましたが、現在、特に電子デバイスのインターフェースなど認知科学的側面からの把握は有効性が高くなっています。思考の流れや癖が文化ごとに違うことが、こうしたインターフェースを通じて見えてきます。これは生活で見えてくる文化差と表裏一体となっていることもあり、要注目です。でもだからといって、従来の工業デザインでみえる領域を相対的に軽く見るわけではなく、両方を同時に観察することで自ずと把握できる地平に鍵が隠されていると想定してよいと思います。つまり、電子デバイスのインターフェースに文化差がでますが、ユーザー層や年齢層による要素が文化を隔てて共通にでることもあるので、逆に非電子デバイス系の商品に根強い文化差がでる傾向もあります。

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ヨーロッパ文化を日本人であれ誰であれニュートラルに見ることは難しく、ニュートラルではないところに意味があると思ってよいでしょう。あくまでも日本との比較で見ることに意味があり、そのうえで、自国文化ーこの場合は日本文化ーの再定義を検討することが発信の第一ステップになります。コンテンポラリーアートの村上隆が、日本美術の伝統を語り、自分がその後継者であるとする筋道を作るに伊藤若冲(上図)を使うのは、とても戦略的再定義です。いわゆる侘びさび的な世界とは乖離しているアウトローを自分の味方に引き入れることによって、日本美術の枠を編成したのです。イタリアにある陶器メーカーのCOVOは、いわゆるオリエンタルな商品を作るにあたり、日本人デザイナーを採用しています。ここでできたものも、日本では違和感があるデザインかもしれませんが、ヨーロッパ人が思い抱くオリエンタルにマッチすることでヒット作品(下図)になっています。

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この日本人デザイナーはロンドンのRCAを卒業していますが、ヨーロッパ文化をよくスタディしたうえで売れる作品を作ったと思います。日本で日本人が美味いと喜ぶ日本料理と全く同じ料理をヨーロッパで表現しないといけないと思い込むのは、ある意味、傲慢であるかもしれません。中国人が作る寿司を「ヨーロッパで喜ばれる寿司」とみなし評価することが、文化的素養のあり方でしょう。東京にある多くのイタリア料理が日本向けにローカライズされている現状を冷静に認識してこそ、ヨーロッパ市場にあう日本の料理や工業製品の開発がまともに考え始めることができるのだということです。

自分の立場と見方をじょじょに確立していく大切さを、ヨーロッパ文化を例にぼくは語った・・・・と思っていただければと願っています。

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Category 『ヨーロッパの目 日本の目』, セミナー・講演など | Author 安西 洋之