ヨーロッパ文化を伝える(5/6)
Date:09/9/22
地図の描き方の参考、ヨーロッパ文化の特徴の二つ目は「コンテクストの存在」です。キリスト教のベースなどを挙げることができますが、もっと身近な言葉を挙げれば「世間の存在」ということになります。「そんなことをすると世間に顔向けできない」という場合の「世間」がより存在感をいまだもっているのがヨーロッパである、という意味です。水谷修さんの『ドラッグ世代』の言葉を借りれば、「大人も捨てたものではない」という世界の存在。あるいは、ミラノの刃物セレクトショップのロレンツィの「どうして、人生経験の乏しい30代以下で良いモノを見極めることができるのか?」というのも、ある共通プラットフォームが社会にあることを前提としています。「それはフェアではない」「これでは道理が通らない」という表現が日常生活のなかで、決定打的な威力を保持しているのが、「コンテクストの存在」の証左になります。
どの世界においても世代間のギャップがあり、その間ではお互いの厳しい批判があります。それでもぼくが何度か書いているように、今の日本にある相互批判を眺めていて感じるのは、この共通プラットフォームがないがゆえに、焦点を絞れずに拡散しすぎているということです。だからこそ「大人も捨てたものではない」ことを大人は若い人に示していきつつ、両者がプラットフォームの構築に意欲を見せることが必要であると思います。やや話しがずれましたが、日本で共通プラットフォームの存在自身を忘れていると、突如にそれをリマインドされる、それがヨーロッパ文化であるということです。

三つ目は、メインカルチャーへの敬意です。日本のアニメがヨーロッパでも人気があるといわれても、そのキャラクターが飛行機の機体や銀行の通帳で描かれることはない、というのが一例として挙げられるでしょう。また、子供服を見ても分かります。キャラクターがプリントされたシャツがありますが、基本的に大人の服の小型版がメインであるという考え方が強く、親がそれを良しとするので子供はその世界にしたがっていきます。文房具など小物にキャラクターがあったとしても、キャラクターが身体の顔にはならないという限定性があります。これは大人文化の強さでもあり、上述した共通プラットフォームの維持に貢献する要素でもあると思います。一つ目で伝統との連続性で述べたように、メインカルチャーが強いゆえに、サブカルチャーが政治性や反社会性をもつことが、日本との比較において相変わらず強いことも指摘しておきましょう。また、もともと貴族文化のないアメリカでサブカルチャーが主流であることとの対比で頭に入れておくべきことです。
最後の四つ目が「多様性の維持」です。人はアイデンティティを確立すべく常に奮闘している存在であるといえます。一度アイデンティティを確立したとビールで乾杯しても、翌朝には粉々になってしまうかもしれないのがアイデンティティであり、環境の変化とともに常に自己に問われるものです。したがって、このアイデンティティの確立を阻害する要素をなるべく排除する社会的システムがあります。毎朝の挨拶で「元気?」「元気だよ」「君が元気でぼくは嬉しいよ」と交わされる一連の言葉も、このアイデンティティの確認を促しているとも言えるかもしれません。少数民族やマイナー言語の保護が強くEUの方針として打ち出されているのは、人間の自己確認の重要さと難しさを前提にしていると思われます。
何度も繰り返しますが、これらの特徴は第一に日本との比較で意味があります。これらを絶対的な判断基準とするのはミスリードです。ある比較をすることで、当然、例外が沢山出てきますから、そのなかで自分なりの大きな枠組みをつくっていくことが大事なのです。個々の人間はそれぞれ違いますが、ある社会に住み人達の全体的な傾向を否定することは生産的ではありません。また「違った言語社会は違った感覚世界である」ということは確固と肯定できます。しかし、これを静的に使うのが間違いなのです。人の世界はダイナミックであり、人それ自身もあらゆる顔をもっています。それが常に入れ替わります。ですから、地図は使うタイミングが大切なのです。






