ヨーロッパ文化を伝える(3/6)
Date:09/9/21
「何々をみないと全体が見えないはず」という表現があります。これは半分正しく、半分は間違っているというか、努力目標にしかならないと思います。「水谷修・生徒ジュン『さよならが、いえなくて』を読む」で書いたように、政治や経済のニュースだけを追うのではなく、社会問題、特にひずみに影響受けやすい社会的に弱い立場にある若者層のありようをみると、全体が良い方向に向っているのか、その反対なのか、それがより分かります。少なくても、風が北から吹いているのか、南から吹いているのか、それら強まっているのか、弱まっているのか、これは誰が正しいでもなく、自分自身で掴むべき感覚であると思います。
こういう観点で、ひずみが出やすい世代や領域あるいは場所ー特にマージナルな場所ーに目を向けておくのは大切です。ですからアフリカの状況あるいはヨーロッパであれば東欧などもフォローすべきですが、残念ながらぼくにはできません。しかし、いたし方ないと考えています。できれば越したことはないですが、自分のつかめている全体が全体ではないかもしれない、と思うことが重要なのではないかと思うのです。
が、イタリアに住んでいることはメリットであると考えています。世界の情報戦に影響力の大きい、いわゆる英米情報をかなり距離感をもって眺めることができます。英国の『エコノミスト』の記事をイタリア語記事が何と書き、日本語で何と書いているかということを知るだけでも、三点観測をすることが可能です。これができないのが、英語でしか海外情報を得ていない人達の弱さー特にアメリカ人ーでもあります。スペイン語もドイツ語も分かればもっと良いですが、英語の情報との「文化差」を身体的に実感して把握しておくのは想像する以上に重要です。

東欧のような地域的カバーは物理的に難しいからこそ、ぼくは分野でなるべく広い範囲を見ようとしています。ビジネス的にいえば、自動車、工業デザイン、インテリア、インターフェース、ユーザビリティ、食品、文化など複数の業界をみています。それにより全体の構造のヒントを得ようとしています。ある経験が、どの分野に通じ、どの分野には通じないのか、これを知ることによってストラクチャーや知識の適用範囲などが勘として見えてくるものです。ある一つの世界だけを見ていても、なかなか獲得しにくい勘であろうと思います。
しかし、何よりも世界で唯一でしかありえない自分の生き方とその経験を基にするがゆえに、自分だけの視点は生きるはずであると思うことが全てのスタート地点です。情報を全て自分に目の前に並べないと安心できないというメンタリティであるとできないことです。情報は並べて鑑賞するものではなく、自分で選択して使うものだという発想の転換ができたとき、違った風景が眼前に広がります。世の中で他人が自分と全く同じ経験をするということはありえないのです。この単純な事実にこそ「地図を描くに腰が引けない」動機が潜んでいるわけです。地図とは具体的にはどんなものを言っているの、ぼくなりの表現をお話ししましょう。
→つづく






