水谷修・生徒ジュン『さよならが、いえなくて』を読む
Date:09/9/13
ぼくがメモ的に書いているブログがありますが、時間が許す限り、ヨーロッパの日々のニュースをピックアップしています。およそ10カ国以上のオンラインニュースのトップページを眺めて、ヨーロッパの全体の動向を把握するよう努めています。そのブログをお読みの方は気づいているかもしれませんが、政治や経済事情のみならず、なるべく社会、特に青少年の飲酒やドラッグの問題もフォローしていこうと思っています。なぜなら、経済に端を発することの多い社会全体の問題は、必ずと言ってよいほど、10代の子供たちを直撃します。女の子の場合は性的トラブルに巻き込まれることが多くなります。昨年後半からの経済不況は、各国とも今になってじょじょに雇用状況の悪化を引き起こしていますが、これが家庭内の不和や子供の虐待などの遠因となることが少なくありません。
もちろん、経済が好調になることがすべてをさしおいて最優先と言っているのではなく、経済状況は当然大切だが、良い状況を作るには、人の心のキャパシティを前提に設計されないといけないということを強調したいのです。筋肉はジムに通えば一定時期の後、それなりの効果を目で確認することができます。しかし、心を強くすることは一般の人間にとって至難の業です。自分で意識的に何かやって強化することがなかなかできません。ある場所に出かけて精神鍛錬することがあっても、日常生活に戻ってきて、日々の仕事や人間関係のなかのストレスに負けない心であることを保障してくれません。結果、全体状況次第でいわば「潰れる人間」の増減がみられます。

1997年、北海道拓殖銀行と山一證券が破綻しました。日本という社会が大きく転換したのは、あの時ではないかとぼくは思っているのですが、ぼく自身、社会の見方を見直す契機となった友人とのある会話があります。経営破綻をして行き場をなくした従業員たちが自分を見失い、あるいは救済を求め、その姿に世間の風は思いのほか厳しく「どうして自立心がこうもないのだ」という批判が吹き荒れました。
ぼくは、その7年前に会社のサラリーマンを辞めて独立していたので、失業したサラリーマンたちに冷淡な考え方をもっていました。そのとき、大学時代からつきあいのある水谷修さんは、「それは違うよ。自立することを良しとしない環境に長く置かれてきた人間に、それを言うのは酷だ。そんなにすぐ人間は変われるものではない。彼らを一時的に救うことは社会の義務だ」と電話の向こうから語りました。
正直言えば、ぼくはその意見に反撥をしました。ひたすら日本の(悪い意味での)伝統的組織の弱体化を願っていたぼくからすれば、とても悠長な意見に思えたのです。しかし、数年して彼の言っていたことは正しかったのだと思い直しました。それは2000年を超えてしばらくした時期です。それまで、人の心の脆弱性に、ぼくは正面から向き合っていなかったといえます。

あの頃、「夜回り先生」が固有名詞化する前、定時制高校の教師をやりながら、週に何十という子供たちからSOSをうけ、ドラッグ依存から救うことに体と精神をすり減らしていた水谷さんは、人間の弱さとトコトンと付き合ってきました。そして、子供たちをドラッグに追いやるのは、大人の社会に要因があり、それに真っ向から戦っていました。彼の目線ー子供たちの高さからの目線ーが社会のゆがみをゆがみとして直感的にとらえーそれは学生時代からもってきたものですがーその真実を前にして、ぼくは心のキャパの問題が目をそらすことのできないことであることを認識したのだと今にして思います。
『さようならが、いえなくて』は19歳の女の子ジュンが依存症の苦しみから助けを水谷さんに求め、その後の水谷さんとの往復書簡的な内容です。「夜回り先生」として名前が多くの人に広まる数年前ー2000年7月初版ーの本です。およそ100ページが過ぎ、もうかなりの時がたったなと思ったら、彼らの交信の3週間でした。ドラッグは「底つき」という、もうこれ以上はできないという状態になり、そこから本人自身が一人で立つところしかはじまらないー回復できないーといいます。誰かに依存することで救われた気になってしまうのは、決して回復の道にのったことにならないし、ドラッグに関係する人間関係を断ち切る「自己強制力」が必要ですが、これも容易なことではありません。
要するに「人は簡単に変われない」との両輪の関係で、ドラッグ依存症という病気が成立するのでしょう。この本をぼくは2000年に読みましたが、今読み返すと、この本の隅々まで分かっていなかったなと思います。水谷さんがジュンに黙って麻薬取締官事務所に逮捕を依頼する心の苦しみにばかり目がいっていたかもしれないな、と感じました。友人の心の葛藤が、ぼくの関心の対象であったのは当然です。しかし、そのため、ほかならぬジュンその人の苦しみにぼくは鈍感だったような気がしたのです。これは、やはりジュンの本というべきなのでしょう。

最近になって読み直したのは、この本のドラマが今週TV放映されるからです。水谷さんから寺脇康文が本人役だとは聞いていたのですが、このごろ、ネット上でも番組宣伝の記事を見るようになったので、もう一度読んでみる気になったというわけです。依存症は、ドラッグだけでなく、日本そのものを覆う社会的病理にも通じるかもしれないなとも思ったのは、2000年ではなく2009年9月のことです。






