中川右介『カラヤン帝国興亡史』を読む

カラヤンのレコードを初めて聴いたのは小学生のときでした。三歳上の兄がLPを買ってきて、「これ、すごいんだぞ」と言いながらLPにレコード針を落としました。ベートーベンとチャイコフスキーの交響曲を連続で聴き、レコードカバーにある黒をバックにした威厳あるカラヤンの写真が印象的でした。その頃、学校の音楽の授業でもカラヤンを聴きました。

そのとき、同級生からヘルベルト・フォン・カラヤンのフォンは貴族を表すのだと教えられ、「フォン(Von)」の意味を知りました。大人になってドイツ人の「フォン」がつく人と会い、彼が名刺にある「フォン」に斜線を入れて名刺をくれたので、「なんで、線で消すの?」と質問したら、「こういう風に消すのが礼儀なんだ」と言われ、「じゃあ、フォンを印刷しなきゃあいいじゃない」とは言いませんでしたが、「フォン」というのもやっかいなものだと思いました。

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フルトヴェングラーとかベームの名前を知ったのは、多分、中学生になってからです。とにかくカラヤンが世界一で帝王なんだという宣伝にすっかり毒されていたことは確かです。しかし、ぼくが初めてカラヤンを知ったとき、既にウィーン国立歌劇場やミラノスカラ座とは疎遠になりつつあり、ベルリンフィルを率いザルツブルグ音楽祭と仕切っていたにせよ、常に三ヶ所の相手を競わせて好条件を勝ち取っている常勝カラヤンではなくなっていたのだということを本書で知りました。

ベルリンフィルというのは、クラシック音楽の歴史を背負った権威であると思っていましたが、ぼくが初めてカラヤンを聞いたころ、まだ設立100年も経ていないオーケストラだったというのは不思議な気がします。彼が亡くなったのは1989年7月。11月にベルリンの壁が崩れた年で、カラヤンは新しい時代を目にすることなく、この世を去った一人だったのです。ベルリンの壁が崩れる様子をTVで見て、翌春から自ら新しい欧州を経験することができるのだと胸一杯の期待をもっていたわが身を思い出しながら、カラヤンの最後の時期を追想することになります。

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ナチの党員であったことが、ユダヤ人が社会の上層に多いアメリカ社会で拠点を作れなかった理由の一つにあげられますが、人の下で働いたことが一度もないカラヤンは、自らをその精神面においてヒトラーと相似であるー常に自分が最高でありたいーとみるとき、それは政治的立場の問題より人間性そのものが、そういう運命を作ったのだなと思います。人は状況のなかで自分の立場を考えていくもので、まったく何もない更地で自分の世界を考えることはできません。政治家でも政策より政局が得意な人がいますが、カラヤンはその両方で得意だったのでしょう。しかし、帝王の例外となることなく、あるとき「裸の王様」になっていく。これを避けることはできるのか?それは早期の引退でかたをつけるしかないのか? 実に難問です。

本書で気になるのは、ミラノスカラ座のポストを失うことをカラヤンが軽く見ていたような記述です。対抗するオペラ座との力関係ではなく、そのスカラ座自身の価値として。オペラ発祥の地であるイタリアの拠点を、そしてカラヤン自身オペラの指揮者として自負していたというのに、そういう見方は違うのではなかと感じました。ワーグナーのバイロイト音楽祭よりは重要だろうと思うし。このあたりにドイツ/オーストリア音楽偏重の傾向が強い日本の音楽事情が出ているのではないかなと案じるところです。それがすごく古臭くもみえるところです。ぼくが小学生のとき、あのカラヤンを無邪気に崇拝していた時代からどれだけ時間が経ったのだろう・・・。

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Category 本を読む | Author 安西 洋之