美味しいものに率直に「美味しい」と言う

「わたしは、東北の出身ですが、実家に戻ると皆の生活に無理がなく、ほんとうに生活らしさがあって、イタリアの生活に近いなあと実感することが多いですよね。美味しい食べ物はたくさんあるし・・・・。東京のガイドブックで沢山の情報を仕入れて駆けずり回って食べても、全然印象に残らないんです」と、今週会った方が話すのを聞いて、ぼくはアッと思いました。そう、目の前に美味しいものがあって、それを食べて満足しているのに、「いや、もっと美味しいものがあるはずだ」と検索エンジンに走る、そんな生活に追われすぎている日本、特に大都会の姿が目に思いかびました。

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1990年代半ばの頃、2002年サッカーW杯日本招致を目指していたとき、日本の多くの建築関係者がヨーロッパのサッカースタジアムに大挙して押し寄せてきました。日本に10以上作らなくていけないサッカースタジアムのアイデア探しです。いわゆる視察です。確かに今世の中にあるもの、過去に誰かがやったことを事前に知ることが重要ではないということはありません。戦略としては間違っていないのですが、全てを見ないと何かがスタートできないというのは、精神構造の問題として褒められたものではないと思います。

ただ、それだけではない深刻な側面があるなと冒頭の会話で思ったのです。目の前で満足している人に対して、「それで満足するなんて馬鹿だよ。もっと世界中の美味しいものを探してみるべきだ」という余計なお節介が多すぎるのではないか、と。それも「お節介だ」と文句を言えばすむものではなく、常に何かに対する満足度をあえて下げる、「君はそこで満足しちゃあいけないんだ」と常時耳のそばでささやかれるゆえに、敗北意識だけはどんどん育っていくということになります。色々な国際比較データで、日本人の幸福度が低いことが取り上げられますが、こういう土壌を無意識に作っていることは否定しがたい事実です。

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が、その土壌があるがゆえに、細部に渡って洗練することにエネルギーを注ぎ込み、その結果、工業製品の品質は世界的に評価されることになりました。工場の現場における改善運動は、「それで満足するな!」という追い込みをかけていくことで持続的な活動になります。つまらないレベルで「これでいいや」と満足してはいけない、ということを繰り返し言われてくると、何か目指すべきモデルを傍においておかないと不安にもなります。どこまで努力すれば、満足していいのかという枠組みは心理的安心の素として欲しいのです。これが「何でも視察ありき」の遠因でしょう。

「富士山を美しいと表現するのはいい。日本一と言うのは首をかしげるけど気持ちは分かる。しかし、世界一美しいというのは、井の中の蛙だ」というフレーズを加藤周一の言葉として何度か引用したことがあります。これを普遍性より固有性に拘る日本文化の特徴として紹介してきましたが、「ある文化圏のなかで一番いいよ」とは表現できるけど、違った文化価値体系にもっていて比較するのは愚かであるということです。ナポリの海の近くで食べる海の幸のパスタはものすごく美味しいですが、それを築地の寿司と比べてどちらが美味しいという議論は不毛なわけです。日本の匠の技術で作られた桐の箪笥をヨーロッパの家具と比較しても仕方がないのです。

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イタリアは地方ごとの郷土意識が強く、自分のところの料理が一番だと主張します。これを聞いて日本の人は「イタリアはお国自慢が極端だからな。だいたい、隣の土地の料理を食べたことがない人も多いし」とやや醒めた口調で評することがあります。ミラノの人達でイカ墨のスパゲティを食べたことのないケースは多く、このような例を取り上げて、「井の中の蛙」であると言うのですが、ぼくはミラノとヴェネツィアの文化圏の違い、つまり文化価値体系の違いをまず認識しないといけないのではないかと思っています。そして、それらの価値体系やその代表的なものが、カタログ的に並んでいるのが世の中の生活のリアルなありようではないことを思い出してみるべきです。

冒頭の会話に戻ります。ぼくは、ああ、こういう意見が、日本のなかで増えていくといいのだろうなと感じました。美味しいものを美味しいと身体中で感じているときに、それを比較の上で70点とあえて低く点数をつけることは文化的洗練さを意味するのではなく、人間性の歪曲であり、100点と率直に言うことが大切で、願わくばそれが自然に受容される環境を作っていくことが、とっても大切なのだと思います。それが文化的洗練さの帰結すべきポイントではないはないか、と。

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Category イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之