武田龍夫『物語 北欧の歴史ーモデル国家の生成』を読む

フランスのデザイナー、ピエール・ポランは「戦後ヨーロッパの荒廃の中で、スカンジナビアでモダンデザインを見出した」という自らの歴史を語ってくれたことがあります。その時、彼が影響を受けたスカンジナビアとはフィンランドであったのですが、以前書いたブログを引用しましょう

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フィンランドのロヴァニエミといえばサンタクロースの北極圏の街ですが、アルヴァー・アールトが都市計画に関わり多くの作品があることでも有名です。第二次大戦が終わって数年を経た1950年前後、ピエール・ポランはこの街を訪れます。

幼少のポランにはクルマ関係の仕事をしていた大好きな叔父さんがいました。ベントレーやロールスロイスがクライアントで、小さなピエールもカーデザ インには憧れました。この叔父さん、ドイツのメッサー・シュミット戦闘機の部品を作ってもいたのですね。そう、英国側のためにドイツ軍のスパイもやってい たらしく、結局、フランス人のゲシュタボに見つかり処刑されてしまいます。1942年のことです。

このような辛い戦争を経て平和な時代となった、しかし、あらゆるところに戦禍のあとがみえる1950年前後、ポランはフィンランドで衝撃的なデザイ ンに出会ったのです。スウェーデンを筆頭に北欧デザインが世界をリードしていた頃です。別の機会にも書きますが、この頃、北欧デザインに憧れていた人たち はものすごく多い。例えば、プリア・チェアをデザインしたイタリア人のピレッティなどもそうです。彼はヤコブセンに弟子入りしました。イタリアがヨーロッパのデザインセンターとなる前のことです。

ポランはフィンランドでモダンと遭遇しました。森の中にも、戦時中に司令塔として使われたのであろう丸太が積まれたまま残り、多くのスキー板が虫に食われたまま放置されている、そういう風景から一歩出たところでアールトのデザインをみたのです。

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ぼくは、この虫に食われたスキー板のことが、その後も気になっていました。ポランはこれを語りながら、この世のものとは思えない怖いものを見たという表情をしていたからです。今思えば、それは単に虫に食われた惨状のことだけではなかったのかもしれません。フィンランドは1939年11月にソ連との間で始まる「冬戦争」1941年6月からの「継続戦争」、これら二つの戦争で惨憺たる状況を生みました。しかし、国際世論の面からいえば、フィンランドは両戦争で全く別の立場にありました。「冬戦争」ではソ連の横暴に屈しない小国フィンランドの独立心と闘争心が世界中を味方につけ、英雄的評価をうけました。次の「継続戦争」は相手が同じソ連とはいえ、ドイツ・ナチと手を結んだことから、「冬戦争」で獲得した評価を自ら覆す結果を導いてしまいました。苦渋の決断だったにせよ、連合国を敵に回したことは大きなマイナスを背負い込んだに違いありません。

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さて、「冬戦争」で活躍したのが各種のゲリラ手法で、その実行には白服のスキー部隊がありました。極寒マイナス40度のもとで戦う彼らは、英雄的評価のシンボルでした。本書でこのくだりを読みながら、ポランのあのときの表情は、世論のバックアップをうけた「冬戦争」のスキー兵の活躍とその結末を思い出していたのではないかとふっと気がついたのでした。「虫に食われたスキー板」の意味が数年を経て分かったのも不勉強のきわまりですが、それを語ったご本人は今年6月に亡くなっているので、「十分に分かり、それを分かったと相手に適切なタイミングで伝えるのは難しいものだなぁ」と思います。

本書はデンマークからスウェーデン、そしてノルウエーとフィンランドが順繰りに独立していく歴史と、それに至る嫌になるほどの戦いの繰り返しを描き、スウェーデンの「中立」は必要性から生まれたことがよく分かります。「中立」だけではありません。国連への貢献度の高さが、どういうバックグランドからきているか、それらが見えてきます。北欧諸国が環境問題などで今新しいモデルを提示していますが、痛々しいほどの厳しい歴史と状況で生み出された産物であろうという思いを消すことは難しい・・・そんなことを考えながら本書を閉じました。

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Category ピエール・ポランに会いに行く, 本を読む | Author 安西 洋之