「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由
Date:09/8/17
ある製品を開発するにあたって必要なのは「普遍性」であり、それは言葉で説明できるものではなくてはならず、それをユニバーサルの説明とするべきだと書いてきました。固有の文化性は、そこにプラスするのであって、文化性をコンセプトのコアに据えてはいけない、と。また、そういう話もしてきました。そこでいう文化性とは「固有性」を指し、別の表現に置き換えれば、「コンテクスト依存」ということになります。あるいは加藤周一の引用でいけば「今とここ」です。
異民族や異文化を支配するためには、物理的な暴力による強制とともに、支配を正当化する言説を必要とする。その言説は、被支配者に対しても説得的でなければならない。あるいは少なくても支配者の側が、説得的であり得ると考え、主張することのできるものでなければならない。そういう言説が生み出されるのは、境界の開かれた文化圏のなかからであって、閉じた地域文化のなかからではない。

こういう問題意識からヨーロッパ文化理解の意義を語っているぼくとしては、シリコンバレー在住の海部美知さんの「『おさいふケータイ』が世界に広がらなかった理由」というブログエントリーについて触れないわけにはいきません。前半にぼくがコメントする部分はあまりないのですが、後半に少々意見を加えます。
iPhoneならば、「使いやすさ」「カッコよさ」といった、シンプルで普遍的な魅力とアップルの世界ブランドと、すでにある程度世界に普及したiTunesのインフラのおかげで、コンテクストを超越できる。かつてのウォークマンのような日本の大成功した家電ブランドや、自動車なども同じ。「魅力」の核となる部分が、シンプルで普遍的であり、コンテクストに依存しないことが、「世界」で成功するために必要な条件である。
ウォークマンは新しい世界観を提示したがゆえにヒットして、かつ音楽プレイヤーとしての普遍性あるポジションを獲得したわけですが、新しいカテゴリーを作ったことで評価の高いのは「これくらい」であり、基本的には高品質と適正価格でブランドを作ったのが家電であり自動車であったといえます。上記の「魅力のコア」は品質と価格です。コンテクスト依存型が目立つようになったのは、この段階の次に高機能・多機能で高価格というステップがきてからだと思います。何度もぼくが書いているように、デザインの面でも「日本のコンテスト重視」がかなりはっきりでています。特にクルマのエクステリアよりインテリアあるいはコックピットのインターフェースに、それが見られます。
日本の携帯業界は、世界の中でももっとも「進んでいる」と言われるけれど、具体的に何がどう進んでいるか、ということを考えると、「日本的」なコンテクストに深く依存した部分が、この非常に高度に発達したコンテクストの中で末端肥大的に進んでいるのであり、世界のユーザーや世界のキャリアに対して広く訴えかけられるシンプルで普遍的な魅力とはいえない。
世界に通用するモノを作るためには、「普遍的」な魅力のあるものを作らなければいけない。グーグルの検索広告モデルやホンダのバイクのように、それがたとえ経緯としては偶発的にできてきたものであっても、提供側が「普遍性」の抽出と拡大再生産に継続的に注意を払うということが、必要と思うのだ。
尚、参考までに6月3日に日欧産業協力センターでのセミナーの内容をリンクしておきます。
http://eujapan-live.ashleyassociates.co.jp/data/current/dataobj-303-datafile.pdf






