小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』を読む

環境論は全体性を重視する最たるテーマであることには疑いなく、しかし、それがゆえにそれを真っ向から相手にしようとするのは、正確に言えば、至極困難なことであろうと思います。自然科学者でも見えきれない、社会科学者にも見えきれない、その両者のダブった部分をいかにコアとして掴みとって前面に出せるか?というのが勝負になってくるだろうからです。そもそも全体性を喪失し細分化が進み、もしかしたら昔より「今とここに生きる」日本で環境論を語るのは、全体を先に決めてから部分を決めていくヨーロッパより難しいとも思います。これは世界観の問題です。

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「環境にやさしいことを、自分が毎日できることからはじめようね」という行為は、心の善的レベルで肯定され、総量でCO2削減目標に達成できなくても、「やるだけやったんだから、仕方ないね。まあ、水に流して、また明日からがんばればいいさ」と言ってもよいことが事前に決まっているということになります。したがって、本書を読んで、この小澤徳太郎氏がストレスフルな日々を送っていることは想像に難くない。自然科学者を叩き、経済学者を叩き、それこそもぐら叩きのような思いをもって、日本で環境論を語っているのでしょう。が、著者は2050年に「また、明日からがんばればいいさ」の明日がないかもしれないことに警笛を鳴らしています。

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経済問題が人々の心の問題とリンクしているのは確かで、先日の英国の新聞でも「経済恐慌の第二フェーズがはじまっている」と薬物依存やDVの問題が急激に増えていることを報じています。友人の「夜回り先生」水谷修さんは、このリンクを見えていないない識者が多すぎることを嘆き、リストカットやドラッグに走る子供たちを救うだけだけでなく、人々の心のキャパにあった社会に全体をどう変えていくかについて動いています。しかし、自殺数や不登校という数、あるいはうつ病で出社できなくなった人の数が出てこないと動かないのが社会の現実です。「目に見えない現実」を知るための想像力、それは身近にある危機を見えないということと、普段はいかない地域の変化の状況ー例えば、アマゾンの自然破壊ーについて知る努力をしない、こういったレベルにおいて、心の危機と環境の危機は直結しているはずです。

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スウェーデンにおいても青少年の心の問題は常にあり、社会問題が解決されたから環境に向う余裕があるというわけではなく、全体に対する問題意識のもち方として扱うから、現象の裏にある問題のコアにより接近するアプローチがとれるだと思います。別の表現をすれば、ある意味、現象に線引きすることで「建築構造的」問題点が視覚的に見えるのです。だからこそ、「因果関係の科学的立証が十分ではないから、事態を注意しながら静観する」するのが日本政府であり、「因果関係の科学的立証は十分ではなく、グレーゾーンが存在するのは認めるが、事態の悪化を防ぐための処置を即時とる」のがスウェーデン政府であることになりやすいのです。

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社会学者の宮台真司が『日本の難点』で、今の日本の問題を叙事詩的に描くことを意図しましたが、環境問題は優れて政治的であり経済的であり社会的であり、叙事詩的表現が必要です。地球温暖化問題は科学的根拠の薄い英国のデマゴーグであるからと静観するのは間違いで、世界の数多くの問題を前にして全ての因果関係を明らかにすべきと思うのは逆に浅薄な考え方であり、あるほのかなシグナルで全体動向をキャッチして舵を切りなおすのが正解だろうと思います。もちろん、南極やアルプスの何処をみても、地球に(温化か冷化の)ある異変が生じていると認識するのは、ほのかなシグナルではなく、かなり目立ったシグナルに対する認識ではあります。人件費と為替を頼りとした「新興国誕生の連鎖」が半永久に続くわけはないと思って環境を後回しにするのでは遅く、それこそ「今とここ」に生きる日本が、「今とここ」の問題として環境問題があると認識し、少なくても、このケースでは日本の伝統的「部分から全体へ」ではなく、「全体から部分へ」のアプローチしかないと考えます。

本テーマの続きは、ヨーロッパ文化部ノートに書きました

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Category 本を読む | Author 安西 洋之