2008 ミラノサローネ(38) 仮説1へ戻る

ぼくの友人が数ヶ月前こう語りました。

「イラクで100人が殺されたと報道するのはいい。でも、そこに悲しみや怒り、あるいは憎しみという感情を入れてはいけない。こころは、その場と時を共有してはじめて伝わるんだ。そのラインを超えてはいけない」

「今という時代、ネットでこころが瞬時に世界を駆け巡る。これはだめだ。ブッシュは911でこれをやったんだ。グーテンベルグの印刷術では、そういった即時性はなかった。が、今は瞬時だ。そしてTVは対多数だった。しかし、ネットの一対一で連鎖していく。ここに、今という時代の本質があると思う」

ea

未来派のバッラが機械のスピードを表現していましたベーコンはカメラで撮りきれない現実イメージを追求しました。 どちらも機械が作動する「動く現実」が目の前にあったわけですが、今、飛行機や新幹線のスピードを表現したいと思うアーティストはあまりいないでしょう。友人の言葉にあるように、情報やこころの伝わり方のほうに問題意識が移っていると思います。ただ、その背後にある、機械が作るリアリティへの関心は依然と強く、テーマとしてヴァーチャル空間を扱うのは至極自然な流れになっています。

ドイツのデザイナーが語った「静と動の日本」という言葉から、「動」についてはバイクを例にあげました
。ぼくは、そのとき躍動感ある書の世界も「動」のイメージの一つかなと思いました。「静」であり「動」である表現があそこにはあります。考えてみると、ヴァーチャル世界というのは、ことのほか「静」にジャンルわけされるようなイメージがありながら、冒頭の話にあるように、絶対的なスピードがあり、まさしく「動」の世界があります。ぼくは、バッラの展覧会をみてから、現代における「動」とは何かなと考えていましたが、妙に友人の言葉とサローネ開幕前日に思ったことがよみがえってきました。

「2008 ミラノサローネ(23)」で書いた仮説1、「まったくの第一印象ですが、『そろそろ、欠けたロジックが求められる時代ではないか』というのが、ぼくの頭にふと浮かんだことです」が、この「動」とぼくの頭のなかでひっかかりはじめたのです。ベーコンが描いている人の顔はすべて部分的に欠けデフォルメされています。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2008 | Author 安西 洋之