夏のローマ

イタリア語でいうフルボというのは、「ずる賢い」と日本語に訳されると多分に否定的な意味合いをもつように思われる。しかし、ご存知の方が多いと思うが、これはイタリア文化文脈のなかでさほど否定的ではないというより、より肯定的な意味で使われるといったほうがよい。それが生きる知恵であるという前提が認められている。たまにローマに行くと、それをいつも街のなかで感じる。観光客が多いがゆえに、通りを歩きながらでも、そのフルボを異邦人であるぼくは思う。

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ローマの夏は暑い。タンクトップの女性が非常に多い。しかし、タンクトップでサンピエトロ大聖堂には入れない。半袖でないといけない。そのためX線探知機の手前で急いでジャージを着込む人やストールを羽織る姿があとを絶たない。それでも、そのまま通り過ぎ、入り口で厳重に注意をうけることもある。これは権威のひとつの体系である。その体系の枠組みが、服装の指示に表れる。

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聖堂のなかを人々は熱心に歩き回る。どちかといえば、南米や東南アジア系の人たちのほうが、気持ちが濃いかもしれないと思わせる雰囲気があるかもしれない。それは信者の数の勢いとういう先入観だろうか。ここにはすべてがあるかもしれないと信じさせるシステムがある。しかし、すべてはないだろう。「フルボ」以外にローマでいつも感じることに、ローマは今のヨーロッパの中心からは離れているということだ。

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ヴァチカン衛兵がスイス人であるのをみると、そのヨーロッパとの距離感は、時代によって大きく変化していることがより分かる。このスイス人をみて、現代においてローマとスイスが近いと思うのではなく、過去のバチカンとスイスは近かったと思うのだ。だからといって、バチカンが過去に生きる世界であるというわけではない。世界の動きのなかで大きな極であることには変わりない。

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Category ウンブリアの夏 | Author 安西 洋之