宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』を読む

ぼく自身、ヨーロッパで外国人として生活しているわけですが、非常に奇妙なポジションにいるなあとよく思います。ヨーロッパ各国の移民対策や移民反対の運動とある部分で現実的にかかわり、ある部分ではまったく無縁であるからです。外国人は外国人なので制度的な面で不便を蒙ることがありますが、実生活のなかで外国人であるがゆえにあからさまに差別を受けることは殆どありません。また、それこそ「移民」とカテゴライズされるとちょっと違ったニュアンスになるのは、アフリカ、中東、南米などの人達とやや環境や条件が違うこともありますが、「親戚も含めたコミュニティがここにある」世界とは全く無縁であることが一番の特徴でしょう。最近、各国で「統合化政策」の一つとして自治体レベルの選挙権を与えるなど外国人へのアクセスがありますが、これを外国人が全面的に歓迎して積極的に参加しているかといえば、そうではないところが国籍あるいはシティズンシップの問題の見えにくい部分です。

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住んでいる国と一体化したいかどうかといえば、そう思い切ることはなかなか簡単ではなく、特に日本のように二重国籍を認めない国の人間にとっては、かなり重い決断を迫られます。実際、外国人と結婚しても日本のパスポートをもっている人は少なくありません。いわゆる「帰化」というのが、必ずしも外国に住む場合の最終型になっていません。帰化してどういうメリットがあるのか?という問題があります。また、フランスのアルジェリア第二世代や第三世代にも見られますが、「帰化しても、どうせ、俺たちを移民扱いするに変わりないさ」という諦めも背景としてあります。お互いが歩み寄るような工夫はあの手この手で施しても、なかなか距離が縮まらないのです。

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社会学者の宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生ー開かれたシティズンシップへ』(岩波新書)にも、ドイツが国籍は血統主義から出生地主義に変えても、移民が諸手を挙げてドイツ国籍をとるわけではない状況が書かれています。出生地主義では、生まれた場所を重視することで、国籍取得を容易にします。したがって、移民受け入れのための重要なキーになっていますが、これを必ずしも「善意」としてとってはいけないというのが、フランスの出生地主義であると本書には説明されています。19世紀後半、ベルギーと接した地域で工業が盛んになった際、多くの外国人労働者が住み着きます。これに目をつけたのが軍部であり、労働者である限り外国人であることは問題となりませんが、徴兵としてとる場合、外国人を徴兵するわけにはいかず(いわゆる外人部隊を別にして)、いわば兵力増強の一環として出生地主義が採用されたのです。

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宮島喬は、最後に日本の事情をとりあげており、日本国籍には独特の付可視な基準が期待されており、戸籍制度とも関連しますが、「日本人らしい」ということと「血」の二つが両立することが社会的に暗示されていることを指摘しています。身体的に日本人らしい、あるいは日本語を日本人らしく話すという面が見られると同時に、日本人の親のもとに生まれるという「文化的であるとともの生物学的」が、日本人のメンバーシップ基準であるといいます。これがいわゆる「在日」の問題と繋がってくるわけです。大きな政府か小さな政府かが政治の世界で問われるとき、移民受け入れに積極的なのが大きな政府であり、消極的なのが小さな政府という傾向をみますが、これは効率性や経済性への見方の違いだろうとぼくは考えています。そして大きな政府は、移民を文化問題として考えるということもいえると思います。

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Category 本を読む | Author 安西 洋之