木村尚三郎『ヨーロッパ思索紀行』を読む
Date:09/7/9
フィンランドの携帯電話機メーカー、ノキアのメッセージはConnecting People ですが、これは実に上手く現代と企業コンセプトを説明しているなと思っています。モバイル機器メーカーでこれほど印象に残るメッセージを送っている会社は他にないでしょう。先日紹介した宮台真司『日本の難点』でも書いていますが、技術革新が進み個々の孤立化が進めば進むほど、あるいは経済社会の効率化が進めば進むほど、それと同時に生活世界における密着性ー人の顔の見える関係ーがより重要になってきます。ノキアは、この時代の動きと自分のサービスコンセプトの両方のポイントをカバーしている点で優れているとぼくは考えました。
お互いに、自分は自分、他人は他人ですが、同時に結び合いもしたい。かつての共同体のように、家族であれ村であれ、四六時中、私のない生き方をしたいわけではなく、私は私で、他とは違う意識は、今のように共通目標がなくなったからこそ、かえって強くなっています。にもかかわらず、まさに共通目標がないからこそ、一人ぼっちは限りなく寂しい。
これはヨーロッパ中世史が専門だった木村尚三郎『ヨーロッパ思索紀行』(NHKブックス)の文章です。「二つの間、つまり一人でいるということと、人はお互いに結び合って生きていることの間を、現代人は絶えず往復しているといわざるを得ません」といいます。哲学者の大橋良介は「切れつづき」という言葉で、切れているようでつながっている、つながっているようで切れている、という状況を表現したと紹介しています。

上の絵はマチスの「ダンス」(1910年)ですが、草原の上で手を取り合っている男女5人のうち、一つのポイントで手を取り合おうとするのですが繋がっていません。これが現代であると木村尚三郎は言ったのです。そして、もう一つ現代の特徴として彼が挙げたのが、「動く」ということです。
動くということは、かつては非日常の世界へ入ることでしたが、今は、動くことを通して、日常生活を、くらしといのちを最高に輝かせたいという方向に変わってきています。動きながら情報のやりとりできるツールは、これから大きく発展していく可能性があります。
冒頭にノキアの企業メッセージを紹介したので、この文章がノキアをヨイショしているように誤解される可能性があります。しかし、ぼくが言いたいのは、この文章にリアリティをもつにはノキアの事例が有効であり、こういう例がないと、歴史家や思想家の想いはなかなか一般には伝わりにくいかもしれないということでもあります。思想家も普通の家庭人であり、それはノキアの開発現場で働くエンジニアとさほど違わない世界であり、したがって、両者とも同じようなリアリティを経験しています。それが最終アウトプットとなった時、その二人を繋ぐものが見えなくなりがちで、これを再構築していく作業が必要です。誰かがやらないといけません。
動くことについて木村は、日本文化の特徴であるとも語っています。
中華料理の回転テーブルも、日本から始まったものです。文楽の場合でも、義太夫語りの席がグルリと回って突然出てきます。お化け屋敷もそうです。急激に状況の一切を変える発想は、ヨーロッパ人には馴染みが薄いようです。これは日本人には得意なことであって、折り紙がそうです。
四角い折り紙が次には三角になり、あれよあれよという間に鶴になります。いわゆる生成発展の結果少しずつそうなるのではなくて、急に事態が変わるのを、フラクタル現象というようですが、この折り紙の発想でできているのが、宇宙ロケットの太陽光を受ける受光板です。東京大学工学部の先生の名を取って、ミウラ折りと言われます。
これは回転寿司が日本的発想であることの説明でもあります。「急激に状況の一切を変える発想」という部分は、評論家の加藤周一がいう、日本文化の時間と空間では、「ここ」と「今」が一番重要であるという視点と繋がっていると思います。西洋の構造化された世界観では馴染みにくい発想である、即ち「過去は水に流す」という世界と、「動く」世界は、同一線上にあると言って良いかもしれません。だからといって、ぼくは構造化が重要ではない、その位置が相対的に低下しているという文脈で言っているのではないので、ご注意を!






