福野礼一郎『クルマはかくして作られる』を読む

イタリアに来る前、ぼくは自動車会社に勤めていたので、クルマ作りの現場を多少は知っています。新人研修で工場のラインで夜勤でも働いたし、さまざまな部品メーカーの現場に足を運んだことがあります。英国のスポーツカーメーカーと取引があったので、小規模生産の開発のあり方もおよそ想像がつくし、トリノでスーパーカーの生産現場で一台一台品質レポートをする仕事もしました。そして、今もカーメーカーや部品メーカーと別の形でビジネスが続いています。しかし、いつも全体の一部で働いているという意識が抜けません。これが自動車産業の特徴でしょう。巨匠ジュージャロでさえ、自分のカーデザインを大組織を相手に説得するのはストレスであると語っています。

今回の経済恐慌で分かるように、自動車産業が成熟しきった業界であり、しかしその巨大な蜘蛛の巣のような裾野の広さから、各国とも自動車会社の救済に躍起です。GMの国有化、オペルへの独政府のバックアップ、どれも破綻の影響力のサイズが問題になっています。電気自動車が急にスポットを浴びるのは、経済恐慌ゆえに自然環境が悪化しているのではなく、そこに大きな政治意志と経済的動機があるのが明白です。よく金融経済は目に見えないといいますが、別の意味でいうと、自動車産業もその関連企業の多さから目に見えにくい世界です。なにしろ2-3万点からなる部品の数々に多くの人間の生活がかかっているのです。

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例の36冊のリストのなかに、福野礼一郎『クルマはかくして作られる』を入れました。「現代性」を表現している本のカテゴリーです。そこで、この本を再読しています。著者がさまざまなメーカーに足を運び、そこで開発や生産の実態を詳細に記したものです。自動車の工場といえば、ボディ製作や流れるアッセンブリーラインばかりがイメージに残りますが、ギアボックスなどの大物部品の機械加工だけでなく、インテリアのウッドパネルやシート生地など「えっ、ここも自動車産業の一つなのか!」とあらためて気づくことになります。そういえば、ポルトローナ・フラウもクルマのシート生地をフィアットに供給している会社です。

ぼくが、この本を「現代性を表現している」カテゴリーに入れたのは、目に見えない全体性を目に見える形で理解するにはどうしたらいいのか?という疑問に答える一例になるのではないかと考えたからです。以前書いたことの繰り返しになりますが、全体性とは「曖昧性」も含めて包括しないといけないので、「すぐ分かる〇〇」「一覧で分かるXX」「役に立つ〇〇」という形では絶対に達し得ないのです。あるストーリーでしか表現しえないところにリアリティがあります。そういう点で、ぼくは「小説は読まない」と公言する人の全体把握力に疑問符をつけるわけです。小説といわずとも、少なくても、回想録の類が守備範疇に入っていないといけないと思います。嘘と現実の間にしか、真実はないわけですから・・・・。話が少々ずれましたが、言うまでもなく、この本にはストリー性があるとみたので、リストに挙げています。

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Category 本を読む | Author 安西 洋之