ガエ・アウレンティと「全体性」のこと

東京のイタリア文化会館の「赤」を巡っての論議で、設計をしたガエ・アウレンティの名前が日本のなかで一般化した感がありましたが、ガエ・アウレンティはパリにあるオルセー美術館の仕事でよく名前が引き合いに出されます。彼女の照明器具や家具のデザインを見ていて思うのは、やはり、建築家ゆえの強さなんだろうなと思います。より大きな範囲を考えれば、その中の一部のあり方がよく見えてくる。宮台真司に関する記事でも書きましたが、一人で全体を眺めれば、自ずと「部分」が関係性をもって見えてくる。都市計画をやってこそ、それぞれの建築のデザインのあるべき姿が考えられるだろうと思いますが、建築設計をするがためにインテリアのコンポーネントが全体のなかの一部として考えられるのでしょう。

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数年前、ガエ・アウレンティと会って話したとき、その「全体と部分の有機性」ということへの拘りというか信念を強く感じ、したがって照明だけ椅子だけという建築空間の文脈から離れた単体のデザインを(少なくても)今はしないとの理由がよく分かりました。今でこそ建築学部は半数以上は女性ですが、アウレンティがミラノ工科大学で学んだ頃は、50人の中での紅一点だったようです。建築は完全に男の世界だったわけですが、そのなかで彼女は卒業後、エルネスト・ロジャーズのもとで雑誌『カーザベッラ』の編集に携わるのですが、多分、ここでも彼女は「リーチを広げる」ことを学んだのではないかと思います。彼女自身、大学ではテクニックより「型」を学んだと語っています。そして、文化的色彩が強かったオリベッティの世界巡回の展覧会に関わったことも、彼女の幅を広げるのに大いに役立ったようです。

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演出家のルカ・ロンコーニの舞台美術はアウレンティがかなり手がけましたが、彼女は都市計画、建築、工業デザイン、舞台美術、展覧会とイタリアの典型的建築家コースメニューをこなしてきたため、大先生を前にこう言っては失礼ですが、文化の全体を語るに際して臆することがありません。これは、例えば、先日亡くなったフランスのピエール・ポランなどとは根本的に違うところです。イタリアで知識人あるいは文化人は、「左翼」であることが他の国よりも強い条件になりますが、米国のブッシュ時代の政治に関しても非常に厳しい眼でみていました。19世紀的貴族主義を支持し、大量消費主義に違和感をもっていたポランも米国政治に同じような態度をとったと思いますが、それはもっと控えめな表現でした。性格ではなく、リアルな世界に対するポジションの取り方がまるっきり違うのでしょう。

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陣内秀信さんの『イタリア都市再生の論理』を久しぶりに読み返したことを、この前の記事で書きましたが、この分野は政治的意志に非常に左右されということを改めて認識しました。これは単体の工業デザインの世界とは大きく違う点です。工業デザイン、建築空間、都市空間、社会経済、政治・・・・といったそれぞれの位置づけをどうおさえるべきか、これはなかなかタフなことですが、意志としては、あるいは目標としては、これらの全てを一人で鳥瞰する意気込みをもたないと、「生き残れる工業デザイン」の実現は難しいのだろうな・・・ということを、アウレンティの作品を眺めながら思いました。

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Category ガエ・アウレンティ | Author 安西 洋之