ピエール・ポランが逝く

6月13日にフランス人デザイナー、ピエール・ポランがモンペリエで逝去したと聞いて、「最後に話したのはいつだっけ?」と考えました。今年のはじめ、電話で話したような気がしますが、よく覚えていません。昨年から体調に優れないことは奥さんから聞いていましたが、やはりこのニュースには驚きました。81歳でした。

最後に会ったのは、2007年のミラノサローネだっと思います。ミラノのホテルで会い雑談を交わし、奥さんと3人で一緒にタクシーに乗り、コルソ・コモ10へ出かけたのでした。ぼくが彼の「フランスでの偉大さ」を感じたのは、去年のミラノサローネで、フランスのTV局が製作したビデオを見たときです。中堅のフランス人デザイナーが、口々にピエール・ポランの先進性を絶賛しているのを聞き、「そうか、フランスのデザイナーにこんなに影響を与えていたのか・・」と知りました。若い頃の彼自身、フランス国内ではあまり評価されずにオランダのメーカーを頼りにしたということを語っていましたから、何となくフランスでのポランには明確なイメージがもてませんでした。

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もちろん、エリゼ宮での仕事はよく引用されます。実際、大統領時代のポンピドゥやミッテランとの関係が、以下フランスの記事でも紹介されています。今回、サルコジ大統領が「ポランはデザインをアートにした」と語っています。よくある凡庸な賛辞ですが、一時、ポランは彫刻家を目指していたことを考えると、やや違った意味合いに受け取れます。

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/france/5535244/French-designer-Pierre-Paulin-dies-aged-81.html

ポランのモンペリエの自宅を訪ねたときのことは、ぼく自身、昨年の初めに書きました。彼のプチ・デスクを復刻するプロジェクトを実現するために、メトロクスの下坪さんと一緒にパリにある彼の弁護士を訪ね、その後、1年以上を経てモンペリエまで出かけたわけです。一連のことは、以下5回連続で「ピエール・ポランに会いに行く」にあります。(これより詳しい内容は会員限定コンテンツをご覧ください

http://milano.metrocs.jp/archives/28

この時代の人達にとって、第二次世界大戦後のデザインとは、スカンジナビアでありアメリカであったのが、よく分かります。イタリアのデザイナーも活躍しはじめていましたが、「憧れる」というニュアンスではなかったとの印象をもちました。ザヌーゾのチェアのアイデアをライバルとして参考にした、という風に。当時、フランスに大手家具メーカーがあまりなかったことが、彼にとって幸運だったのか不幸だったのか・・・こういうことを考えます。彼がイタリアのミラノにいたらどうだったのだろう・・・と。ライバルに囲まれ切磋琢磨して、もっと違ったトレンドを作ったのか、それとも60年代にあったユニークな性格を表現するに至らなかったのか・・・と。

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上の写真は、ポラン作タンチェアが並ぶ自宅の居間で撮影したもの。2004年3月。マドリッドでの列車爆破事件があった直後の旅でした。右端が奥さんです。

合掌

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Category ピエール・ポランに会いに行く | Author 安西 洋之