ミラノサローネ 2009(51)-日欧産業協力センターのセミナー

先週「ミラノサローネ2009の見方をお話しします」というエントリーで書いたように、6月3日、都内、日欧産業協力センターでセミナーを実施します。そのために現在、内容の詰めを行っているのですが、ぼく自身の頭を整理する目的もかねて、ここにお話しする内容を整理しておきます。まず、全体構成として、ぼくの話、社会学者の八幡康貞さんのレクチャー、そして質疑応答も含めた二人でのパネルディスカッションを考えています。

それでぼくの話ですが、ヨーロッパ文化を知る目的を明らかにします。これは何度も書いているように、何かを学ぶという態度でヨーロッパ文化を知るのではなく、ヨーロッパ人と一緒にコラボレーションしたり、何かを売るための文化理解です。これが大前提です。ヨーロッパの教会の見学し、「宗教が分からないと、絵画も飽きてしまいますね」という人達が多いですが、それを飽きないための文化理解ではない、ということです。それらを知っていれば知ったに越したことはないですが、それはセミナーの目的ではないです。次にここでいう「文化」ですが、これは文学や美術などのハイカルチャーやサブカルチャーを指すのではなく、文化人類学で使う人間が行う外面的及び内面的な行動全てです。「生きるための工夫」です。

それでは、何故、あえて文化理解が必要というのか? 一つは、1989年秋にベルリンの壁が崩壊し、1947年以来の「鉄のカーテン」が取り払われ、二つのイデオロギーの下に隠されていた文化が、国際政治上でも前面に出てきたことです。そして、アメリカを極とした経済のグローバル化を補完する概念としてのローカリゼーションの必要性です。かつ、このローカリゼーションは、それまで市場の好むカラーや人間工学的側面に焦点をあててきましたが、1990年代以降のネットや携帯電話その他の電子デバイスの普及で、ユーザーの考え方の違い、即ち認知科学的側面にも注意を払う必要がでてきました。そして、これらが十分に配慮されていないと、カーナビのようにユーザーや周囲の人間の生命を危険にさらす可能性が高くなったのです。また、このインターフェースへのセンシビリティが、従来の意匠レベルでのデザインへも影響する、いわば心象風景の変化がでてきています。文化というと、やや気取ったものとして扱われたり、文化交流というと異文化との長期の関係向上がイメージされがちですが、今、ぼくたちが直面している文化的現実とは、もっとシリアスです。

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その次に、ヨーロッパ文化に入る前に、日本文化についてサマリーします。ヨーロッパ文化にリアリティをもつためには、自分がよく知っている日本文化をまず大筋で整理するのが、比較文化的手法として有効だと思います。そのために、いくつかのポイントを指摘します。例えば、ディテールから積み上げで全体像を作る、あるいは普遍的志向性より固有性への拘りが強い、こういった点を挙げます。これらのステップを踏んだうえで、初めて、ミラノサローネにおける日本企業や日本人デザイナーの展示に対する見方に話題を移します。それらのなかで、特にレクサスは少々時間を割きます。L-finesseのデザインフィロソフィーの問題点を指摘します。米国ではメルセデスと同等の戦いをしながら、欧州ではメルセデスの10分の1以下の売り上げしかとれない現実と、このフィロソフィーがどう関係しているのか?という点を仮説的に触れます。

一方、ヨーロッパの会社の例では、スウェーデンのイケアを取り上げます。どんなに美しいデザインであっても、それは金額があって、はじめて総合的な判断ができるというポジションがイケアにはあります。よくレストランの味は自分のポケットマネーで食べて初めて分かるといいますが、ぼくもこれは真実だと思います。すべからく、経済的な位置も含めて、デザインの良し悪しを判断するところに意義があると考えています。純粋な美的判断という世界もありますが、ことデザインの世界において、それはメインストリームではない。あるいはメインストリームたりえない。その点にデザインの現実があると思います。

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話のテーマはユニバーサルとローカルですが、レクサスやイケアの対比で分かることはユニバーサルに視覚や言葉で表現しきれるというのは、コンテンツが定義するのではなく、コミュニケーションの結果なのだということです。L-finesseは、視覚や言葉の世界に背を向けたような印象を与え、言葉にならない世界の調和を目指しているように見受けられます。それをぼくは大いに疑問に思うのですが、仮にそれを良しとする場合、それではコミュニケーションはどこにあるの?ということになります。ユニバーサルというのは、言葉で理解できること、それもお互いに言葉を長い間交わして得た合意、この全てです。こうした苦労を経てヨーロッパ市場であるポジションを獲得したのが、コンテンポラリーアートの村上隆であると考え、彼の戦略について語ります。

何か、ある決まった内容はユニバーサルではない、そういうことはありません。文化変容とは、その文化の「必要性」におこるのです。そして、必要とは合理性なのです。

寿司、ケバブー、パスタ・・・・これらは、文化が好まれて世界中の人に食べられているのではなく、「軽い」「ヘルシー」といった合理性が市場に受けいられた第一要因であり、それぞれの文化は後からついてきています。だからといって文化を無視していいということではなく、上手くユニバーサルなレイヤーの上に載せることが重要です。イケアはその点でも参考になります。日本の例では、ソニーのウォークマンが合理性と世界観の提示で世界に普及しましたが、今、ぼくが注目しているのは、頓智・のセカイカメラです。まだ市場でビジネスがはじまっていませんが、新しい世界観の提案という意味で期待しています。

以上、こんな感じですが、この続きは次回書きます。

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Category ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之