ミラノサローネ 2009(50) 未来派のもっていたエネルギー

世の中に新しい価値を広めるのは、とてつもないエネルギーと熱が必要だということを、王宮で開催されている未来派の展覧会をみて再認識しました。昨年も今ごろ、未来派のジャコモ・バッラの展覧会がありましたが、今年のそれは、未来派にかかわる総合展です。絵画からはじまり、彫刻、建築、舞台美術、陶器、ファッション、写真・・・あらゆるものが対象になっています。飛行機からみた地上風景を描いた絵画をみて、人類が地球そのものを眺めたのも、思ったより時間がたっていないなと感慨にふけりました。

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20世紀の初頭、科学や工業技術が一気に急伸し、その現象に今と明日のリアリティを感じたアーティストたちが、それらを一気呵成に表現しきったのです。この展覧会には、もちろん未来派の宣言文が説明されており、その趣旨を読むと、1世紀を経た今に至っても心揺さぶられるものがあります。実は、これをあることの対比で、ぼくは語っています。4月22日のブログで書いたことです。今、新しい価値体系の構築のために、ヨーロッパは歴史編集作業を行っている。それと、レクサスのL-finesseのブランドフィロソフィーがユニバーサルに分かりにくい。この二点です。

世界すべての人が受け入れている概念は存在しないでしょう。民主主義はもとより、人権も危ないです。象徴的なのが、クリントン米国務長官が中国を訪問した際、経済苦境からの脱出を優先するために、今までさんざん第一条件として要求してきた人権問題をとりあえず脇においたことです。アムネスティが猛烈な反撃を加えたのは当然ですが、ぼくはこれをニュースで読み、「ああ、なんだ、人権は絶対的な価値じゃないんだ・・・」と多くの人の心に残ったであろうことを想像しました。

現ローマ教皇は10年ほど前、ドイツの大学で「キリスト教にとって脅威なのはイスラム教ではない。仏教である」と講演しましたが、自然を制御する存在としての人間が、危ういポジションにたっていることは確かです。それでは、仏教を背景とした文化が、ユニバーサルに通じる価値観や創造性の主導権を発揮できるか?と問うた場合、何十年の単位では無理ではないかと思います。それは可視的な価値観に重きをおかず、予定調和ではないなんとなしの調和に敬意を表する文化が、今までの西洋的価値体系を越えるのは、三桁に近い年数や、瀕死に近い状況で人々が「必要」を感じて方向転換を決めるしかないでしょう。

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こういうことを書かないといけないほどに、レクサスのL-finesseのフィロソフィーは、西洋的価値体系やユニバーサルな文脈にNOと言っているのだ、ということをトヨタのデザイントップはお分かりなのだろうか?と、ぼくは以下を再読して思うのです。多分、そういう覚悟はないでしょう。エンリコ・フミア氏は、その困難さを知った上で、非常に皮肉的な対応をしています。これで、本当にいいのでしょうか?

http://response.jp/feature/2005/1227/f1227_1.html

とにかく日本の土壌で勝負するという気持ちも戦略も理解できます。でも、それならば、日本の文化のユニバーサル性をもっとスタディするべきではないかと考えます。日本の独壇場を作るなら、西洋文化文脈ともっと組み込みがいい日本文化を認識するのが妥当です。それをしないと行き止まりです。これをぼくは非常に深刻な問題と考えています。世界でトップで日本の経済の屋台骨を支える企業の動向には、大いに目を光らすべきです。日経ビジネスオンラインの川口盛之助さんのD1グランプリに関する記事(下記)はいつものように面白いですが、我々は視点をずらし多数の視点をもてば、本道でももっとできることがあるのではないか? そういうことを考えます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090513/194513/

6月3日の日欧産業協力センターでのセミナーは、こういう点に対して突っ込んでみたいと思います

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Category ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之