ミラノサローネ 2009(44) 4月23日ー2
Date:09/4/24
ブレラ地区に美術品のオークションに使用される格式ある建物があります。ここで行われていたのが、ソットサスとの10年と題するもので、アートギャラリーが主催しています。

この中庭の正面にある部屋には、次の作品が展示されています。

そして、中庭奥の左側にある入り口より、二階にあがる階段があります。そこでお目にかかれるのは・・・・

以下は、トリエンナーレでも見たことがあります。10年というのは、いわば晩年の10年間を指しています。

実は昨年秋、日本のある新興宗教団体が、このスペースを目一杯使って仏像展をやったのですが、その施工があまりに立派だったためか(?)、壁などをその時の黒そのままを使用しています。場所の記憶というものは怖いもので、あの仏像とソットサスの晩年がダブってイメージされてきます。ギャラリーのオーナーにそれとなく「まだ匂いますね・・・」と、この印象を伝えたら、「ええ、そうね」と割とあっけなく肯定したので、ちょっとセンシビリティに欠けるなと思いました。しかし、ぼくがある種の抹香臭さを指したのに対し、多分、このイタリア人は、仏像とソットサスに共通するファンタジーを感じているのではないかとも考えられ、ぼくの思いは極めて日本人的かもしれないとも思案しました。もちろん、単に後ろめたさから決まりがわるく、話を早く切り上げたかっただけかもしれませんが・・・。

4月23日ー2の最後で触れたMorosoについて、もう少し書いておきましょう。ぼくはファッションというあり方について否定的ではないし、ファッション動向をビジネス上ある程度追ってもいます。新しい流行は遊びとして楽しいし、あまりに定番や意味の濃いものも飽きがきます。なによりも10-20代にとっては、自分たちの言語として必要な「武器」でさえあるといえます。だからこそ、それは爆発する新しさ、どうしても止めようがない爆発力をもって、流行となる。最近でいえば、iTuneはそういう力をもってきました。
一方、無限大の欲望を刺激するシステムは、新自由主義経済の是非を巡る論議とは違ったレベルで、社会的持続性やエコロジーの観点から再考を迫られています。したがって、無理に不要なものを作って市場をギシギシと回すのは正しいことなのか?と問われているまさにその時、「ファッション」がもつ力も同様に問われているわけで、拮抗すべき位置を確保するには、より一層の戦略性をもった「ファッション」を考えていかないといけません。今後優先すべき価値とは何か?という議論で負けない「ファッション」が期待されるということです。






