ミラノサローネ 2009(42) 4月22日ー2
Date:09/4/23
レクサスはミラノで5年目ですが、「残念ながら、今年もはずしたな」と思いました。ヨーロッパ人の心をグイと掴むには至らないでしょう。「でも、どうしてなのだろう」とぼくは会場でジッと考えました。壁にかかった説明を読み、一つ思いました。L-finess のデザイン哲学の基本自身が、ストラクチャーになってないことが、ヨーロッパ人にまだ理解されないのだろうと考えざるをえません。2005年にデザイントップの平井さんが対談している内容に以下説明があります。
「L-finesse」のLは「Leading edge」=先鋭、finesseは人間の感性や巧みの技の精妙を意味します。ハイブリッド技術はエコロジーとエモーションの調和ですね。初代『プリウス』はレクサスでなくトヨタですが、こういった調和をデザインで表現できないかと努力しました。
「L-finesse」はさらに3つの要素、「予」「純」「妙」で成立します。「予」は“もてなしの心”につながる時間軸の表現、「純」は明快な主張、「妙」は面や線の変化で生まれる味わい、深みです。

これはヤマハという楽器ブランドとケータイが実に明快な分かりやすい世界像を見せています。だから人が集まります。ディテールの喜びではなく、作品(プロト)そのものが作る世界観がみえやすいのです。これはセカイカメラと同じだなと思いました。同じトリエンナーレで非常に活況している日本企業のセクションがあります。それは複数の素材メーカーが集まって、デザイナーとコラボレーションしているTokyo Fiber 09 – SENSEWARE です。ナノテクノロジーなどを利用している繊維素材を、あるプロトタイプにしています。

上は旭化成の素材を使い、日産のキューブの模型にフロントフェイスに表情をつけるという提案です。繊維素材の部分が膨らんだりしてクルマに感情表現を加えています。下も旭化成の製品でnendoが作った世界です。帝人は炭素繊維で1.5キロの小型PC並みのチェアを展示していました。ジオ・ポンティも顔負けのスーパーレッジェーラです。板茂氏の作品です。

多くのヨーロッパ人が目をキラキラさせて好奇心溢れる表情をし、盛んにスタッフに説明を求めます。東レの方と話したのですが、日本の素材産業は頑張っているし、それにふさわしい反応を市場からダイレクトに受けているという感じをもちました。完成品業界との大きな差異を再認識しました。
ここで、今まで何度か引用した水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』の文章を思い出します。
日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けておらず、いわゆる西洋の小説の長さをした作品で傑作と呼ばれるものの数は多くはない。だが、短編はもとより、この小説のあの部分、あの小説のこの部分、あの随筆、さらにはあの自伝と、当時の日本の<現実>が匂い立つと同時に日本語を通してのみ見える<真実>がちりばめられた文章が、きら星のごとく溢れている。それらの文章は、時を隔てても、私たち日本語を読めるものの心を打つ。
しかも、そういうところに限って、まさに翻訳不可能なのである。
日本企業の展示に世界観の提示を望むのは今だ無理なのだろうかと一瞬愕然としますが、しかし、ぼくはそんなことはないと思います。余計な肩の力を抜き、西洋的として拒否する部分が、実は日本のある時期までにあった文化であったことを知ることや、それは西洋というよりユニバーサルと定義すべき部分であることを認識することではないかと思います。
一つ面白いと思ったところがあります。Love Difference という団体です。文化の違いを盛り上げようというイタリアのアートを中心としたファウンデイションです。地中海は違いを生んだ宝庫なので、ここを発信拠点にしようというものです。そこで世界の海にあわせたミニチェアを作ってみましたというのですが、下はその一つです。







