ミラノサローネ 2009(32) 伊藤節さんと語るー3

前々回の冒頭でMADE IN ITALY のエピソードを持ち出し、MADE IN ITALY とは地理的な問題ではなく、イタリア文化の全てが表現されたものと書きました。これはフォルムやカラーあるいは製品コンセプトだけでなく、経営判断のレベルをも当然包括することになります。伊藤さんはNAVAとのプロジェクトを例に出しながら、金型を作るかどうかの判断基準が、日本とイタリアでは大幅に違うという話をします。

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ただ、この話を進める前にまず、「手作り」と「量産」という二つの言葉が指し示す範囲と意味が違うことを説明しておきましょう。日本で「量産」といった場合、そこでは手作業を伴うプロセスを排除しがちであり、機械で連続的にアウトプットされる生産方式というイメージが第一優先します。しかし、イタリアにおいては、プロト生産ではないものを、(特に家具や雑貨の分野では)量産と一括して呼ぶ傾向にあります。つまり「商品化」は「量産」と同義ではないですが、極めて近接したところに位置します。日本では「それを量産とは呼ばない」というものが、イタリアでは量産の範疇になります。

これは、ターゲット市場ボリュームのおさえ方の違いが原因にもなるのですが、もっと言えば、商品世界観の相違とも言えます。あるターゲット市場で狙ったシェアをとり、利益がとれることを第一目標にした場合、あらゆる市場の存在がアリとなるわけですが、イタリアではそのアリとする敷居がある意味低い、逆の表現すれば、市場の潜在性を多様にみていると言えます。たとえでいえば、クルマの世界でフェラーリという企業が成立するのは、あのような高級車市場のユーザーの顔を個々に見えているからだとぼくは考えています。したがって、イタリアの社会のもつ多様性が、市場のバリエーションを「作りこむ」のだと思います。そして、もう一つの鍵は、利幅の取りかたが違うことです。利幅を(日本と比べると)大きくとることを当然とする文化的土壌が、そのバリエーションの成立を許容することになります。

→ 下記、本シリーズ(9)「プリウス入っている」で書いた、日本の自動車市場における中間市場の形成の難しさも、上記と関連する内容になります。

http://milano.metrocs.jp/archives/942

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少々解説が長くなりましたが、伊藤さんは、いわゆる伝統的職人芸ではないプラスチック成型で、「絶対見たことがない」価値をコアに、独自性を主張する人達に感銘をうけ、またバックアップされています。いわゆる本格的量産には不向きとみられるロテーショナルモールディングに積極的な意義を見出し、あるいは日本であれば「こんなところに金型投資するの!?」と驚かれるような部分に金をかけるのがイタリア式経営判断なのです。ちょっと分かりにくいですが、「伊藤さんと語るー1」で伊藤さんが手にしているNAVAの商品も、こうした一例です

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伊藤さんは、「技術の伝承」という表現を使った場合、日本では伝統技術をそのまま世代を継いで維持するというニュアンスで語られがちですが、イタリアでは過去の技術を今の時代にどう生かすか?ということにもっと重点がおかれる傾向があると語ります。 ぼくも同感で、だからこそ、過去の集積が現代に目に見える形で残るのだと思います。

<写真はNAVAのSLYというシリーズです>

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Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之