ミラノサローネ 2009(21)-ロレンツィ氏が語るー3

モノを大切にしないのは、モノをつくった人に対して失礼であるという考え方があるのですが、ファッションあるいは流行志向は、この考え方に反するわけです。マウロ・ロレンツィ氏が店の周りを遊び歩いていた1960年代のモンテナポレオーネ通りは、いわゆるブランド街ではありませんでした。貴族が多く住む高級住宅地ではありましたが、通りには普通の店が構え、それが徐々に70年代になるに従いファッションストリートに変貌していきました。ですから、ブランドの権化のような空気のなかで、「我々は流行に左右されない」と言い通すのは、実にシビアな戦いです。

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世界中の政財界のVIPがこの店を訪れ、ロシアの大金持ちには、従業員も含め店ごと言い値で買取、モスクワに店を開きたいとオファーを受けても、それは精神的な目標が違うと言って断ります。実は、このエピソードは伯父さんのアルド・ロレンツィ氏が書いた著書のなかで読んだのですが、マウロ・ロレンツィ氏に「お客さんで特筆するような要望を出した人はいますか?」と聞いたとき、「我々はクラシック商品を扱っている。私は紺のスーツが好きだ。あなたは今グレーのスーツを着ている。グレーも好きだ。それが我々の世界なんだ。黄色いジャケットを着る人は、我々の普段目指す世界にはいない。そういう例を挙げても意味がない。私はビジネスの哲学を話すのが好きなのです」という台詞が返ってきて、ぼくは「お見事!」と思わず感嘆しました。

彼は世界中を旅しています。刃物の生産国は、主要なところでは、イタリアのほかに、ドイツ、フランス、米国そして日本です。日本にも毎秋出かけ、岐阜の関や新潟の三条のメーカーを訪ねます。ここで刃物に関する今まで抱いていた素人の疑問をぼくはぶつけてみました。「どうして、ヨーロッパのナイフは日本の包丁のような切れ味がないのか?どこに違いの原因があるのか?」と。

彼はこう答えてくれました。「まず、日本の包丁は片方の手でしか使えないアンシメトリーになっている。そして、刃を直立させて切る時と、刃を寝かせて薄く切ることがある。まず、これがヨーロッパの使い方と違う。そして、日本では食卓でナイフは使わないように、厨房で全てカットする。しかし、ヨーロッパでは、食卓でカットするから、日本ほど前段階で丁寧に切る必要がないんだ。そしてタイプでいえば、ヨーロッパのナイフは用途別に沢山種類がある。しかし、日本は一つで色々な用途に使うようになっている」

「まあ、こういう背景はあるが、結局のところ、日本人は刃物の切れ味に多大なこだわりをもったからとしか言いようがないと思う。これはヨーロッパがもちきれなかったこだわりだったのだろう。ところで、刃物というのは、どれが調理用でどれで武器になるか、定義が極めて難しいものだ」

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「上の写真のようにもてば、縦にトントンと切る料理用ということになる。しかし、下の写真のように持つとどうなのか? これには人を刺すイメージがあるだろう。同じモノでも、もち方によって、こんなにもイメージが変わるものなんだ」

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この指摘は面白いです。とても暗喩的でもあります。

<上の握り方を説明する写真は、後でぼくが自宅で撮ったものです。包丁はロレンツィで買ったものではありません)

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Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之