Date:12/1/28

ぼくがヨーロッパで生活をしようと思ったのは、歴史に残る社会的インパクトのある新しいコンセプトはヨーロッパで生まれる可能性が高いと判断したことによります。この経緯は4年前に書いたことがあります。新しいコンセプト誕生の現場に立ち会いたい自ら関与したいと願い、ヨーロッパで仕事をする道を探したのでした。20代後半です。大量生産が醸し出す熱気より、時代の先端にある刺すような冷気と穴の向こうにある熱風のようなものに触れ続けたいと思ったのです。ここでいう「先端」とは技術の先端を言うのではなく、社会意識の先端を指しています。

ローマのFAOで広報官として働く山下亜仁香さんの以下の文章を読んで、ぼく自身の20代を思い出しました。

それなりに充実していたものの30歳を迎える頃「このままでいいのだろうか?」と不安になりました。同級生にはマザーハウスの山崎大祐やフローレンスの駒 崎弘樹など鴨池で語り合った理念を現実化している仲間がいるのに、自分はドバイなんかで何をしているのだろう?と思いました。圧倒的な貧富の差や持続可能 性を無視した経済発展のさなかで、それに自分も加担をしているのではないか。

ドバイといえば世界中からその富が注目される場所です。各地からやってきた人々が働いています。ワールドビジネスの動きを左右するドバイにいた山下さんは「ドバイなんかで何をしているのだろう?と思いました」と書いているのです。経済的な価値ではない社会的な価値を重視していると、「ドバイなんか」となるのでしょう。経済成長をリアルに感じ、それを時代の先端と思うなら、中東やアジアは絶好のところであり、富の先にでてくる社会問題や知的関心の動向にリアリティを感じたいならヨーロッパは良いでしょう。ある一か所ですべての要求をかなえることは難しいから旅をするわけですが、やはり生活する場所と旅先では獲得するレベルが違います。

隣の芝生は青い。が、青いことに嫉妬を抱いたり、その場にいないことで焦燥感を覚えて足元がぐらつかないためには、自分が今ここにいる理由が明確であり、「ここも人にとっては隣の芝生」であることを身をもって知っていることです。これは自分の能力や立場の認識に基づきますが、裏をかえせば、いかに全体を見通しているかにもよります。いずれの芝生も結局は一部でしかないのです。シリコンバレーには確かに多くの宝があるかもしれませんが、シリコンバレーには歴史に溶け込んで次の時代を見据えるという文化はないでしょう。しかし、ウィーンにシリコンバレーはなく米国の西側にあるわけです。

どこに行けば時代の先端を見れるということはありません。あるいは、どこにいても時代の先端は見れるものです。ピエモンテの小さな町で発信されたスローフードのコンセプトが世界に広まったことを思い起こせば、「先端」の意味はよりはっきりします。食だけではなくライフスタイルを視野に入れた時、がらりと「先端」をとりまく風景が変わるはずです。新しいコンセプトや価値にこそ人が目を開く根源があることを自覚したとき、たとえば、ヨーロッパで何を見落としアジアで何がまだみえないかーしかし、アジアが新しい道を作るかもしれないーに目はいきます。こう考えること自身がわくわくしてどきどきするものです。

たった数年前は中国に住むことがアジアの今を見ることだと思われ、現在はインドに住むことがアジアの先端であるとみられる・・・なんてことに振り回されている限り、どこに行っても何も見えないでしょう。場所ではなく、どんな価値観がリアリティをもつ世界に生きたいかが先にこないといけない。ぶっちゃけた話、場所なんてどこでもいいんです。場所にこだわっている限り、場所に囚われるだけです。でもぼくはミラノに住み、山下さんはローマにいる・・・・。それは場所以外の価値に重きをおいている結果である。

それがミラノサローネの意味です。

 

 

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:12/1/27

昨日午前1時ころ、卓上のライトが揺れ始めた時、地震だと思いながらほんとうに地震であろうかと一瞬迷いました。ぼくがイタリアに住み始めてからの21年間、地震とはっきりいえるものを経験したのは2-3度です。中部や南部などでは大きな地震があってもミラノで体感する地震の数はそんなものです。もっとあったかもしれませんが、記憶に残っているのはその程度です。地震がミラノにいる自分の文脈にないのです。昨年の3月11日に日本で大きな地震を経験して以降、発生する揺れがすべて地震であると判断が傾いたのと反対です。11日の後は、たとえ強い風で窓ガラスがビシビシ鳴っても、「地震か?」と感じ取ったものです。

米国の大学の医学部は街の外れにあることが多い。イェール大学も同様だ。大学近くのアパートに入ると11階の部屋なのに窓ガラスが1つ抜けていた。不思議に思ったが、管理人にガラスを入れてもらい、そのまま生活をスタートした。

夜になると、しょっちゅう「パーン」という音を耳にした。「またパンクか。ずいぶん安いタイヤを使ったクルマが多いな」と思っていた。だが、ある時、 「パパーン」という音を聞いて、今まで聞いていた音が銃声だと気付いた。そんな危険な地区だとは知らなかった彼は、初めてガラスが抜けていた理由を知っ た。

「要するに、ぼくは街のコンテクストを知らなかったわけですね」と安宅さんは述懐する。

ガラスの状態で「街の安全度」を測らなかったのは、11階のガラスが銃弾で破壊されるなどという経験がなく、また教えてくれる人もいなかったからだろう。銃弾が飛び交う街と窓ガラスの破損が、経験としてシンクロすれば分かる。

「脳神経系で『理解』とは物理的に存在しません。2種類の情報からの信号が1つの神経上で重なり合う現象のことなんです。つまり、複数の情報が何らかの 重なる関係を持つ時、我々は『分かる』という状態になるのです。だから、コンテクストを共有することがものすごく重要なわけですね」

長い引用ですが、安宅和人さんと対談したとき日経ビジネスオンラインに書いた文章です。地震の判断に躊躇した際に即思い出したのが、このエピソードでした。ミラノでは、その8時間後、再び地震が発生しました。お互いの震源地が離れているにせよ、またおよそマグニチュード4であったとしても、これまでの頻度からすると珍しい現象です。イタリア人たちは大いに驚き、建物からの落下物を恐れ建物から離れながら、地震について一生懸命話していました。

ネットを見ていてふと気になりました。この地震を経験した北イタリアに住む日本人たちの書き込みをみていると、イタリア人の地震への反応が過剰であるとやや嘲笑気味です。「地震国に生まれた人間は、こんな地震ではあわてない」という態度です。ある自然現象に対して恐れを抱くのは冒頭に述べたように文脈の問題です。震度そのものではない。だいたい耐震構造との関係を考慮すれば、普段地震がない地域では震度の小さい地震でも十分に危険なはずです。それだけでなく、心の構えがないところでの異常事態は予期せぬ行動パターンを生みます。少なくても嘲笑の対象にはなりません。

豪雪地に南国から来た人がつるつるの靴底で歩けば、「お前、分かっていないなあ」とからかわれるかもしれません。それはいいのです。雪のある世界の文脈に来るときには、その文脈を理解することが求められるからです。日本で地震にあって怖くなりあわてて自国に帰るイタリア人に「馴れていないから仕方がないなあ」とつぶやくこととは妥当ですが、ミラノで地震にあって右往左往するイタリア人に日本人が「情けない動きをするなよ」と言うのは、的が外れているとしか言いようがない。

自然現象への見方は、実は文化価値体系のもととなっています。

 

 

Date:12/1/26

2月25日に「アーカイブの時代変遷と地域差異」をテーマにした勉強会を実施しますが、28日番外編を行うことにしました。いつものように講師をお呼びするのではなくワークショップ形式で議論する場にします。

参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taro(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です。

2月28日(火)18:30-21:00 「本社の国のイメージと商品ブランド力」

グローバルビジネスになればなるほど本社の場所は関係ないと言われがちです。しかし、はたしてそうでしょうか?アップルはアメリカ、ネスレはスイス、メルセデスはドイツ・・・というように会社の国のイメージと商品ブランドは緊密な関係にあります。その一方、HTCやエイサーのように、本社の場所を知っている人は知っているけれど、さほど国のイメージが効いていないと思われる事例も身近にあります。また電子機器だけでなく、キッコーマンの醤油にみるように、日本食のためではなく各地での料理に合う調味料として販売する戦略事例も少なくありません。

ここの一つの調査報告書があります。昨年3月13日以降に世界9か国で日本や商品のイメージに対するリサーチを定期的に実施した結果です。これをみると、商品カテゴリーによって津波や震災後の原発事故により信頼性がさほど変化しないものと低下しているものに分かれます。あるいは生産場所と本社の場所へのイメージと商品イメージをみると、各国の日本へのイメージとは当該国の自国イメージとの釣り合いのもとで構成されているかもしれないと推察される結果があります。

本勉強会では、上記の報告書にあるデータを基にワークショップ形式で「自分の商品の見られ方」について議論していきたいと考えています。

参加定員数:15名
参加費:1000円(飲み物や軽食を用意します)

 

<冒頭の写真は、2月25日勉強会の告知で掲載したドローイングが作品となったものです>

Island: an existence of nine years. 2002-2011. Mixed media. 180x310x105cm.
Installation view “Winter Garden” at Maria Grazia Del Prete, Rome, 2012.
Foto: Tartaruga – © 2012. Satoshi Hirose All Rights Reserved.
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