Date:16/6/14

前回、「デザイン・ドリブン・イノベーション」という本が予想に反して面白かったという話を書きました。日本と同様、欧州でも「デザイン思考」という言葉が非テクノロジー分野や行政の間で浸透しつつあります。しかしながら欧州では日本と比べると、「デザイン思考」をもう少し相対的に捉えている印象をうけます。欧州委員会のなかでデザインがイノベーションの鍵としていわれ、そのデザインは「デザイン思考」と「デザインドリブンイノベーション」の2つのアプローチで表示されている、という点が目をひきます。

デザインがスタイリングだけでなく、プロセスや戦略に関わると考える企業家は欧州のなかではスカンジナビアや英国に多く、欧州と米国を比べると、特に米国では戦略的な位置づけとしてのデザインがあります。 地域としてはこうですが、日本も含め一般的には、製造業よりサービス業、老舗よりも若い企業がプロセスや戦略としてのデザインに積極的であるとの傾向はあります。

今回のセミナーでは、「デザインドリブンイノベーション」の著者であり、次作の「意味のイノベーション」の刊行が待たれるミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティ教授のもとで学んだ羽山康之さんを講師に、こうした全体図を話してもらう予定です。

 

 

「今、欧州ではデザインとイノベーションをどう考えているか?」

日本企業の経営のなかでデザインへの認識が増しています。一つにはスタンフォード大学とIDEOが発信拠点となっている、ユーザーを中心に考える「デザイン思考」普及の恩恵があります。

これには欧州においても同様の現象がありますが、受け入れ方やその度合いが日本とは違います。例えば、欧州委員会のイノベーションユニットでは「デザイン思考」だけでなく、「デザイン・ドリブン・イノベーション」の両輪でイノベーションを推進しています。

「デザイン思考」は緩やかな改良を狙うプロジェクトには適切ですが、急進的な意味の転換を伴うイノベーションには「デザイン・ドリブン・イノベーション」が適当である、と考えているからです。

「デザイン・ドリブン・イノベーション」というコンセプトは、2009年にハーバード・ビジネス・スクール出版から出されたミラノ工科大学MBAの教授、ロベルト・べルガンティ氏の著書のタイトルからきています。

今回のセミナーでは、安西洋之氏のもと、今年、ベルガンティ教授の講義を直接受けた羽山康之氏が、「デザイン思考」と「デザイン・ドリブン・イノベーション」を対比して、何が同じで何が違うのかを明らかにします。同時に、「デザイン・ドリブン・イノベーション」以外の欧州でよく語られているデザインアプローチも紹介していきます。

開催概要

日 時 9月3日(土)16:00-18:00 18:00-19:30懇親会

場 所 AXISビル地下1階イベントスペース「SYIMPOGIA」

料 金 会員2,500円
一般3,000円
学生1,000円

講師

羽山康之(はやま・やすゆき)

イタリア・ミラノ工科大学デザインスクールで戦略的デザイン修士。一橋大学商学部、同大学院商学研究科経営学修士。デロイト トーマツ コンサルティング株式会社(当時)にて、経営コンサルタントとして自動車メーカー/自動車部品メーカーのビジネス支援に関わる。

ミラノ工科大学在学中、ミラノ工科大学Master in Product Design for Architectureの非常勤講師。またミラノ国際博覧会(EXPO 2015)時に立ち上げた、イタリアの食品関連ベンチャー企業にて食文化を再発見し、発信するデザイン戦略企画に従事。スペイン・バルセロナでデザインエージェンシーにてインターンを経験。その後、イタリアの建築設計事務所にてデザインコンサルティングを行い、6月末帰国予定。

関心事項は、イタリア流の意味のイノベーション(Innovation of Meaning)/デザイン・ドリブン・イノベーション/戦略デザイン、デザイン×ビジネス、文化と人の生活、Co-creation/Co-designと旅行(学生時代に世界周遊)。栃木県出身の地元好き。

モデレーター

安西洋之(あんざいひろゆき)

モバイルクルーズ株式会社代表取締役
上智大学文学部仏文科卒業後、いすゞ自動車入社。欧州自動車メーカーへのエンジンなどのOEM供給ビジネスを担当後、独立。ミラノと東京を拠点としたビジネスプランナーとして欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画している。国際交渉のシナリオ立案とデザイン企画を得意としている。また、海外市場攻略に役立つ異文化理解アプローチ「ローカリゼーションマップ」を考案し、執筆、講演、ワークショップ等の活動を行っている。

著書に『イタリアで、福島は。』『世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』(クロスメディア・パブリッシング)『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』(日本評論社)。共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』(日経B社)。

「ローカリゼーションマップ」WEBサイト http://www.localizationmap.com/

<申し込みは右記参照のこと>http://www.jida.or.jp/site/information/innovationseminar.html

 

 

 

 

Date:16/5/28

ミラノサローネ2016をおよそ1か月半にわたって書き、久しぶりにこのテーマを集中的に考えることになりました。その結果、頭を働かせるだけでなく、実際に人に多く会い話をすることが多かったです。ミラノ工科大学のビジネススクールの先生であるロベルト・ベルガンティが8年前に書いた。「デザイン・ドリブン・イノベーション」を読む機会も得て、さらに頭と身体の動きが後押しされる羽目にも 笑。いや、この本、最高に面白かったです。

実は、この本、もっといえば「デザイン・ドリブン・イノベーション」という名前をぼくは避けていたのです、長い間。立命館大学経営学部デザインマネージメントラボのチームが日本語に訳して出版したのが、オリジナル本がハーバードビジネススクール出版から出た4年後、2012年ですが、確かその頃から、この名前を日本で耳にするようになったのでしょう。でも、ぼくは「何それ?」と読み気にもなれませんでした。だってですよ、ミラノの周辺のデザインを今更語るか?アルテミデとかアレッシとか、もう枯れたブランドじゃない、と。いや、ビジネスのブランドとしてはいまだに十分に立派ですが、ミラノデザインを語る際に、このブランドはもうないだろう、と。およそミラノからブリアンツァにかけての地域にミラノデザインを生むエコシステムがあったみたいな話は聞き飽きているわけです。

 

で、デザイン・ドリブン・イノベーションですよ。流行りのデザインとイノベーションの2つのバズワードが入っているのが、もう嫌で嫌で。いやらしい。そして経営学の教授がハーバード・ビジネス・レビューに書いたものだ、と。もう、これだけでツマラナイと語っているみたいなものじゃない、と(関係者のみなさん、失礼!)。まあ先入観のかたまりみたいな頭で、この本を手にとるなんて一生ないだろうと思っていたわけです(大げさにいえば)。確か、その頃、日本のある先生に、「ベルガンティを知っていたら、紹介してくれますか?」と聞かれたのです。ベルガンティを知らなかったぼくは、彼の略歴を検索でみて、「ああ、MBAの先生か。この人とのコネをわざわざ探さなくてもいいだろう」と判断し、日本の先生には「直接存じ上げないので、お役に立てそうもありません」と断ったのです。

さて、今年の4月のある日、ぼくの中小企業の本を読んだ日本の経営学の先生からメールをいただき、その方の論文も添えてありました。「イタリア+中小企業+産業集積+ブランド」の組み合わせが日本の経営学の範囲であろうと想像していたのですが、論文にはイタリアのデザインの考え方が記されていたのです。美術史や思想史に触れていて、それは驚きました。経営学はこのあたりまで手を伸ばしているのだ、と大いに感心しました。その感想をそのまま書いて返事をしたら、他の方を紹介いただくことになり、(詳細は省くとして)結果的にあの遠ざけていた「デザイン・ドリブン・イノベーション」を手にするに至ります。さっそく、最初の数ページを読んで、すぐさまぼくは自分が過ちをおかしていたことに気がつかされました。イタリアデザインには読ませるコンテンツがまだこんなにもあったのだ、と自らの無知と曇っていた目を恥じました。

曰く、「急進的なイノベーションとは、モノがもつ意味の転換であり、テクノロジーだけのイノベーションには限界がある」「ユーザー中心のデザインは緩やかな商品改良には貢献するが、長期的な資産を生む急進的なイノベーションには役立たない」「オープンイノベーションは誰でもアクセスできるのだから、誰でも模倣できる」「意味の転換を見極めるのは、ユーザーにクローズアップするのではなく、文化的にクローズドなコミュニティ(解釈者たちのネットワーク)で語られる内容を吟味して見極め、ユーザーをズームアウトして眺める必要がある」・・・・といったことが(ぼくの解釈も加えると)書き連ねてあるわけです。ぼくは、いわゆるソーシャルライフで得られる情報や見方を自分のなかで統合するのが肝心で、それが次の戦略を決めるヒントがあると考えてきました。例えば、アートギャラリーのオープニングでのアーティストやキュレーターとの雑談が、文化人類学者や企業家との会話と方向として一致することが、大きな指針になったりするわけです。ぼくはミラノサローネを「デザインディスコース」としてみる実践をしてきたので、もう、本に書いてあることに頷きまくる展開になったのです。

ちょっとエラソーに言えば、説明が曖昧な部分に嘘ではないけどリスキーな要素は多いとか、ソーシャルメディア時代のデザインディスコースは2008年には語りきれなかったはずだが、もう少しネット時代の解釈たちを予見しても良かったのではないかとか、批判的に言おうとすれば言えることがないわけじゃないですが、まっ、そんなの読者がその先を考えればいいことだ、と思えるのですよ。その裏付けに言うなら、いわゆる教養人や感度の良い人の集まりが、文化コンテクストを読み商品コンセプトをつくるにとてつもなく大切ってのは、この本には書いていないデザインマネージメント研究の動向が示唆してくれるんです。米国のデザインマネージメント研究のなかにはあまり出ていないようだけど、ヨーロッパのデザインマネージメントでは、デザイナーの役割だけじゃなく、アーティストの役割が大いに議論されています。これは、ベルガンティが投げかけたテーマの筋が良かったことを物語っているわけです。

ビジネスパーソンの教養は、日経新聞の文化欄やサラリーマンの週末の趣味の読書を指しているのじゃないというのが、この本を読めば痛切に分かるのです。ぼくは8年前に「ヨーロッパの目 日本の目」で、ヨーロッパに”まだある”ハイカルチャーの社会文脈の解釈は見逃せないと書きましたが、この8年間でもハイカルチャーの存在感は下降線を辿っています。それでもイタリアの小学校の歴史の教科書の冒頭に、「歴史を学ぶのは過去の散在したディテールから全体像を積み上げていく刑事のようなものだ」とあり、中学の美術史の教科書が「アートに表現されている象徴から時代を読み取る」と強調して説明されているのを読むと、ヨーロッパの人のコンテクストを読む態度がおよそ想像がつくのです。

いってみれば、ベルガンティが指す「解釈者」とそこにある「デザインディスコース」のいわば社会的根拠が見える。そして、本書には、十数人から何百人規模のイタリア企業が、社内2-3人と外部の「解釈者」たちのネットワークで意味のイノベーションをおこした事例が沢山紹介されているのです。ヨーロッパで急進的なイノベーティブなビジネス展開を図りたい日本の中堅企業が知るべき内容がふんだんにありますよ。もちろん日本のなかのビジネス展開の参考にもなりますが、小さなチームと質の高い外部チームでヨーロッパでガツンとやるのも刺激的だし、なによりも長期的な利益の源泉を狙うに最適な道であると確信をもつに背中を押してくれます。特に、グローバルの統一ブランドやデザインからローカリゼーションを図る道筋が旧世代になり、ローカルな文化文脈が他のローカルに飛び火してローカライズし、そこにイノベーションを生む新世代には、大企業ではないサイズの企業が小さなチームをつくるのことで大企業にはないイノベーションをおこす可能性が大きいですからね。これが楽しみじゃなくてなんだろう・・・と思います。

 

 

 

Date:16/5/13

サローネが終わってそろそろ1カ月が経ちます。毎年、「いったい、あの狂騒は何だったのだろうね」という声も聞きます。「お祭りとしか言いようがない」と苦々しく語る人もいます。今年のサローネ会場は37万人の入場者があったというので、市内のフオーリだけをみた人も含めると、ざっくりいって動員数は50万人は超えるのでしょうね。まったくの想像ですが。それほどの「狂騒」を演じているなら、相応にイタリアのクリエイティブ産業に貢献しているのか?といえば、ミラノのその世界の人にそこまでの実感はない・・・という印象をもちます。何かうまく機能していないのでしょうか?

ミラノサローネ2016の(1)で、「イタリアデザインを世界のデザイントレンドのなかでどう再び位置付けていくのが良いのか?」を考えたいと書きましたが、いろいろとこのテーマについて意見があるイタリアの人と話していて、一つのことに気がつきました。「グローバルな時代で地域の名前を冠したデザインなどあまり意味がない。個々の才能の話だ」と語る一方で、同じ人間が「デンマークのデザインって言っても、大したものがあるわけじゃない。デザインシンキングの発祥地のシリコンバレーには何があるのだ?あれはアメリカの産物じゃないか」と批評するのです。外国にもよく足を運び、コスモポリタンの考え方や生き方を選択していると思っている人は、ローカルに拘る表現に拒否反応のように「イタリアデザインという言い方は過去の遺物である」と言いがちではないかと思うのですね。しかも、その当人は、タイ政府のデザイン振興機関のディレクターにぼくが言われた「イタリアデザインは(北米や北欧のトレンドと比べて)遅れている」という見方に対して、「イタリアのデザイン事情を分かっていない」と反発したりするのです。これは1人に限ったことではなく、何人かと話した結果です。

だからぼくは、こう思ったのです。イタリアのデザインについて語ることをイタリアの人だけに任せておくと闇の中に入ってしまうと。当事者が語ることは大事だけど、当事者が語ったことだけで外部の人間が分かるか?といえば、そうはならない。また、外部の人間が取り上げると、とてもよい絵が描けたりもする。例えば、経営学の人がイタリアデザインをみると、ミラノのデザインの世界で生きている人には当たり前でつまらないことでも、とても参考になる。そういう風に「いじり倒す(笑)」に、イタリアのデザインはまだまだネタがあるし、参考にすべき知恵はやまほどあるということなんですね。イタリアデザインがステレオタイプに論じられるならば、その裏にあるものや、ステレオタイプの崩し方にヒントがあるし、イタリアデザインについて語ること自身が古いというなら、なぜそれが古いのか?という問いかけをするところから見えることがたくさんあるのです。

2008年に「ヨーロッパの目 日本の目」という本を書いたのは、ヨーロッパの人たちや企業とコラボレーションするための文化(=ロジック)理解の仕方を示すことでした。それまでヨーロッパの本といえば、アカデミックな本か生活奮闘記の本ばかりであり、ビジネスパーソンが知るヨーロッパ文化というカタチが見えていないと考えたのですね。それも学ぶためではなく、コラボレーションするための知恵です。それから8年を経て、イタリアデザインそのものを素材として使う発想があっていいんだなとの思うに至ったわけです。

かつて日本の企業にとってのイタリアデザインは、アイデアのネタでした。あるいはブランドをつくるための方便でした。対象は日本市場です。こういう目的のためにイタリアのデザイン事務所に日本の企業がアプローチし、日本のデザイン事務所の数倍の金額を払ってでも仕事を依頼したのです。その中には製品になったものもありますが、多くはレンダリングかモデルあたりで「はい、ありがとうございました。あとは我々の社内でやります」と言い、ちょっとしたディテールだけを活用したデザインで終わる(=製品になる)、と言うのが一般的であったと思います。しかし、そういう時代は去った。ちょうどヨーロッパのブランド品にあまり夢を感じなくなった時期と重なるでしょう。もちろん、その種のプロジェクトがまったくなくなったわけではないですが、日本のデザイン事務所の数倍という金額での商売はなくなってきたということです。

今、ヨーロッパ/イタリアのデザイン事務所に日本の企業が求めるのは、日本国内をコア市場においた製品開発ではなく、ヨーロッパ市場で売れる製品をつくるパートナーという点でしょう。ぼくがこの2-3年感じているのは、2008年のリーマンショックで一斉に北米・欧州市場から新興国に目が向いた日本の企業が、じょよにヨーロッパに戻り始めてきたということです。一時は「文化的プライドが高く敷居が高い」とヨーロッパ市場を諦めていたのが、そこで勝負してこそ利益を生む仕組みが作れると考えを変え始めてきたのですね。レクサスはこういう勝負を繰り返しているブランドですが、最近の日経ビジネスにあった「日本発の高級腕時計 スイス勢へ逆襲の時」というセイコーホールディングスの記事も、この流れを示しています。そしてヨーロッパ市場への関心というか意欲は、こうした大企業の高級ブランド戦略にとどまらず、大企業でもない企業レベルにもあり、実際、ぼくにコンタクトしてくる方の話からもうかがえるし、雑誌の記事執筆依頼も、このテーマが増えてきたところからも傾向が分かります。ヨーロッパの成熟さと課題先進国であるのが、「挑戦するに意味がある」と思わせ、市場開拓に励めば学習する内容のレベルが高いと認識しはじめた、といった具合です。

・・・という感じのところでぼくが考えているのは、上記文脈でのヨーロッパ/イタリアデザイン活用法をもっと具体的なカタチにしていくことかなと、ビジネスとして。それから、自分なりのこうした解釈に基づいたイタリアデザインについて簡単な本を書いてみたいなあとも思っています。で、これまでと違うのは、本は英語で、という点です。ヨーロッパやイタリアのデザインの当事者たちにも読んでもらいたいと思うわけ。いや、経営側の人たちにも。じゃないと、さっき言ったように、闇が続くわけですよ、ずっと。で、これをやると日本の企業の考えていることも、ヨーロッパの人に理解してもらいやすくなり、それこそコラボレーションする際の参考書にならないかなって。まあ、まだ思い付きの段階なんで何とも言えないけど、ヨーロッパ人の誰かと共著がいいかな。

 

 

 

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