Date:10/9/3

地方は切り捨て、東京の効率をマックスなレベルにもっていき国際競争力を高め、ハブ化するしかないだろうと語る人たちがいる。それが日本を救うための唯一の手段であると。そういうこともあるかもしれないけど、それを言うなら、まずは東京の発信内容が金太郎飴ではダメだ。東京が実力を発揮するということは、一方でさまざまな異物がぶつかり合った活性状態を用意しなければいけない。巨大化した東京で活動する人たちが、誰かに「右向け!」といわれたら不平も疑問も言わず黙って右を向くようであったらいけない。その逆でないと困る。だから、東京のハブ化にエネルギーを集中するなら、「反ハブ化」を強く唱える勢力も心地よく生きれる空間でないといけない。そうした目で東京をみたとき、さまざまな意見が流通するより、一方的な意見が多勢を占めることに息苦しさを感じない人たちが少なくないことに気づく。これは危ない。

人は環境の産物で、同じところにいると、およそ同じような考えをもってくる。愚かな存在。が、そのほうが楽なのだ。いや、正確にいえば、楽と思う人が多い。ゆえに、この性質を助長するような要因を極力排除することが賢明である。東京以外の地方の「小東京化」は、東京の考え方をフォローしているという意味で危険。もともと、東京の考え方のバリエーションが貧弱なのだから、フォローするに値しないと強く思ったほうがいい。「そんなのナンボのものだ!」って。しかし、残念ながら、そう言いきれる人は少ない。言い切った人は目立つ。行動人はさらに注目を引く。

「地域の差異が商品になり、地域の個性が観光につながる。つまり、地域の独自性が産業になるとオレは考えちゅう。確かに、3億円、5億円の産業は国から見れば小さなもの。でも、この目線があかん。3億円が100個ある方が、100億円が3つよりもずっと豊かやと思う」

梅原真のせりふだ。「ニッポンの風景をつくりなおせ」の梅原。土佐のデザイナー。徹底して地方の視覚化されていない資産に目をむけ、それを世にコミュニケートしてきた。「ぽん酢しょうゆ ゆずの村」「一本釣り、藁焼きたたき」「シブガキ男の石鹸」「島じゃあ常識 さざえカレー」・・・・・・。「ニッポンの風景をつくりなおせ」は梅原本人の本。本書は日経ビジネスオンラインに連載された記者のルポ。当然ながら視点の違いが現実を変えて見せる。梅原批判の声ものせている。

この本を昨日、東京からミラノの飛行機のなかで読了した。雲の上を飛びながら考えた。この梅原のやってきたこと、実にイタリア的ではないかと思う。人のものさしではなく、自分のものさしをもつ。これがイタリアの教育だ。今、自分のいる場所にある歴史を調べ、そこでしかできない価値を見出し、それを他にコミュニケートしていくのが都市再生の基本。それも具体的な商品で。「反グローバル」「反環境破壊」というスローガンの戦いに熱中するのではなく、価値を可視化して経済化することで説得性を強めていく。この現実性がイタリアの都市復活のキーだった。ショーウィンドウに特産物を並べるだけでなく、これを作る職人が同じ場所に居を構え、その工房を見世物にするのではなく、金を生み出していく環境を確保していく。これが観光資源ともなっていく。

しかし、これはローカルをコミュニケートしていくうえでの定番でもある。よってロジックに差異はない。ただ、日本で弱い部分がある、根本的に。「自分のものさしをもつ」「差異を強みとして利用する」。この二つだ。「自分のものさしをもつ」ことがタイトルになるくらいに、日本では自分のものさしが欠けている。ひとのものさしを使うことに馴れきっている。差異があること自身を怖がる。この状態がある限り、結果として、地方の再生は中途半端だし、東京もグローバルハブになれきれない。たった二つなのだ。問題解決への道は。たった二つ、でも精神的に強くないともてない二つだ

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:10/8/30

ビジネスというのは正しい方向に向かっていても、さまざまな要因で頓挫することがあります。しかし、それは正しい方向を否定するものではなく、たまたまやり方に問題があったという手段の是正のレベルですむことが多々あります。ぼくがよく言うことがあります。「ヨーロッパ経済統合が何十年をも経て完成したのは、何か失敗したときに、目標設定が悪かったと釈明して目標自身をゼロに戻すという文化がないからだ。上手くいかないのは、目標ではなく、方法に誤りがあったからだと反省する。それがヨーロッパだ。あるいは、ヨーロッパ以外でも通じるロジックだ。が、日本では目標の未達は道徳的な指弾を受けやすく、アイデアから含めて全てミスであったと言わないと周囲が満足しにくいところがある。これが新しいコンセプトへの挑戦を阻害する理由となっている

インクスという1990年に設立した金型開発・製造会社は、従来45日かかっていたケータイの金型を45時間に短縮することを可能にした会社です。しかし、2009年はじめ、民事再生法の申請をしています。どうして頓挫したのかという理由は、2003年に出版された本書には記載されていないので分かりません。プロセステクノロジーで人の判断を極限まで排除していったことが、大量の受注を物理的に裁けることを意味していなかった。2003年時点でこう書かれていますが、その後、これがどう解決されたのか、解決されなかったのか。それははっきり分かりません。それでも、この本で語られている内容は今も生きています。

今後日本の製造業は次々と旬の製品を開発し、ユーザーの嗜好が続いている旬の瞬間に売り切らなければならないということだ。生産もかつてのようなフラットな生産から、大きな波のある生産に変わりつつある。その中で生き残れるのは、次々と旬の時に旬の製品を開発できる力をもった企業だけである。

これが45日を45時間に短縮させた原動力。暗黙知満載の熟達の職人の仕事を粒さに観察し質問を連発し、2年後にできたマニュアルで新人も同じ金型ができるようになる。「もうこれ以上、恥をかかせないでくれ」と職人が去っていく辛さを残しながら、プロセスの形式知化が推進されていきます。

日本の製造業の弱点は、タイムリーな製品が出せてもヒストリーを作る製品がなかなか出せない点にあるとぼくは考えていますが、必ずしもタイムリーな製品にNOと言っているわけではありません。旬の製品「も」必要であり、しかしながら「旬」の製品だけが世の中に溢れかえる状況は褒めたものではないといいたいのです。「旬」の製品を出しながら、時代を作る製品も並行して出していく、その割合の問題に何処まで敏感になれるか?が、いつの時でも必要な素養です。そういう鋭敏さをもつためにも、逆説的に聞こえるかもしれませんが、45時間に拘るべきだと思います。

クルマのような動的状況における情報認知をテーマにすると、デスクワークのような静的状況での認知に関するデータで「使えない」ことが多くありますが、本書は金型開発が動的状況として把握されているのではないかと思えます。次の部分です。

人間が、モニターに表示された意思を受け取り、再びモニターに意思を戻すまでの伝達のスピードは次のようになる。

1、モニターから目までは、光速
2、目から脳へ視覚信号が伝わるまでに、0.1秒
3、脳での判断は、人によって差が生じ、0.4秒~無限
4、脳での判断をネットワークに入力するために、脳からマウスをクリックする指に信号が伝わるまでに、0.1秒

意思が、コンピューターネットワークから離れ、画面の文字や絵などを通じて人間の体の体内にあるとき、最も時間がかかるのである。

プロセステクノロジーがユーザーインターフェースと密接な問題であることが指摘されています。ここにおいてもう一つ残されたテーマは、この状況における人間の心。心の状態が判断の時間をどれほどに左右するか、ということ。悲しいときに、時間が余計にかかり、嬉しいときに、即断ができるのか?その逆か?結局、この課題を突き詰めていくと、旬の製品つくりから、時代をつくる製品つくりに論理がじょじょに移動していきます。文化の要素も強くなります。だから、繰り返しますが、45時間への挑戦は無意味ではないのです。論理の移動の仕方に配慮を重ねるだけです。あるいは手法の問題に徹することです。

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:10/8/22

製造業を「ものづくり」という言葉で括ったことが、良かったのか、悪かったのか。製造業が人件費競争によって全てが決まるようなことがあまりにざっくりと言われます。実際には装置産業のように人件費比率の低いジャンルでさえ、一緒くたにされます。中国に日本の製造業が移転はじめた頃、人件費競争の罠に嵌ったなと思いました。人件費がメインファクターである限り、工場は常に人件費の低いところに流れます。しかも、人件費の安さとは、為替の問題と表裏一体です。そのような曖昧といえば曖昧な要因で成立しているメカニズムに自らの運命を積極的に委ねる危険性に覚悟をもつ気なのか・・・大いに危惧がありました。案の定、産業によりますが、今、生産は西に移りつつあります。

製造業を「ものづくり」という言葉で括ったことが、良かったのか、悪かったのか。日本の丁寧な作りこみや繊細な表現、いわば改善に改善を積み重ね磨きかけるプロセスの評価を自らの分析の結果、表看板としようとしたがゆえに、変に自らの首を絞めることになっていないだろうか、という気がします。「ものづくり」なぞというやわい言葉を言わずに、製造業と味気なく言い放つ必要が実はあったのではないか、とも思います。「ものづくり」という言葉を口にするようになって、いよいよ逆に製造業は弱体化したのではないか、と。言葉だけの問題ではないが、そこに何らかの「精神性依存症」があるような感じがしてしまうのです。

「ものづくり」だけでは将来には見込みがなく、サービス業に力を入れないといけないと盛んにいわれます。大いに結構。製造業以外でも金稼ぎをすべきでしょう。ただ、「ものづくり」という限定された世界を与えられてしまった人々は、もののコンセプトやものを売るアイデアを考えるのは苦手だという意識を無駄に植え付けられてしまったところがあります。確かにまったくものを介さないサービスもありますが、多くのサービスはものと何らかの関係があって成立しています。だから、もっと社会全体に目が行かないといけない。サービス業と製造業がコンビで考えられないといけないというわけです。

梅原真は高知に住むグラフィックデザイナー。しかし、その仕事はビジネスプロデューサー的。特徴は、高知県の一次産業を強くすることに力を入れていることです。

一次産業がうまくいっていないなぁ、と思い始めてから世の中はおかしくなってきた。では、ボクに何が出切るのか?一次産業にDesign をかけあわせる

新しい価値が生まれる
新しい価値は経済となる
経済がうまくいけばその一次産業は生きのびる
そして風景が残る。

1987年の夏。カツオ一本釣り漁師が訪ねてきた。このままでは船がつぶれるといった。一次産業にDesign をかけあわせたら、やがてその商品は年商20億円の産業となった。土佐に一つの風景が残った。「一次産業XDesign=風景」
この方程式でニッポンの風景を残そう。そう考えるようになりました。

本書の書き出しです。この本で紹介されている商品を見る限り、地場産業育成でよくみるようなデザインのしすぎがなく、基本的には「何を伝えるか?」のコミュニケーションの秀逸性に目がひかれます。カツオを「漁師が釣って、漁師が焼いた」というコピーで売る。一般の人は、漁師が器用なコピーなぞ考えないだろうと思っている。そこにすっぽり嵌る強いメッセージを出しています。これが20億円の商売に急成長しました。この漁師はある事件で土佐を追われますが、焼津で鰹タタキで50億円のビジネスを作ります。それにも梅原はデザインする。

こういうストーリーを読みながら、ぼくは世界観の狭い「ものづくり」が日本の生き方を隘路に招いているなぁと思います。製造業は第二次産業。梅原の方程式に似せれば、「二次産業X Culture = 世界における日本」ではないかなと思います。ここでいう Culture がコンテクストを作るのです。もちろん、日本の精神性に溺れた Culture ではありません要注意!

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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